「やればできる」という落とし穴

やればできる

発達障害グレーゾーンの中学生・天が、ほぼ勉強をしなくなってひさしい今日このごろ。しかし天はいつも、「ぼくだって、やればできるのだから」と前向きです。

わたしも、けっして天に能力がないとは思っていませんから、「やればできるはず…」と密かに希望を持っています。

しかしながら、この「やればできる」には、2とおりあるな、と考えています。

 

 

「やればできる」の2とおり

2とおり

①自分を信じてチャレンジできる「やればできる」

文字どおり、「やればできる」です。

自分を信じて、何事にも積極的に挑戦する。たとえ失敗したとしても、「大丈夫。やればできる!」と自分自身を鼓舞してふたたび立ち上がり、自分の可能性を信じて進んでいく。そして、結果を出す。まさに、「やればできた!」

理想的な「やればできる」のあり方です。

 

②今やらないための「やればできる」

前者の「信念」としての「やればできる」に対して、「いいわけ」として使われる「やればできる」です。

たとえ今回のテストが平均ぎりぎりだったとしても、それは「勉強しなかったから」で、「能力がない」からではないのです。もし「本気でやれば」、必ず「よい点がとれる」のです。

後者の「やればできる」派の天は、受験生になってから本気で勉強すれば必ず成績が上がり、めでたくあっぱれ高校に合格できる、とピュアに信じているようです。さすが、長期的かつ客観的な視点を持てない天ならではの発想です。

天を塾に通わせていたときの、塾長先生との面談時のことです。

「やればできるんですけどねえ…」とため息をついたわたしに、先生は言いました。「みんなそうです。やればできるのです」

親ばかまる出しのわたしを前に、先生は冷静でした。そうです。やるか、やらないか。能力があるかないかより、実はそのほうが重要なのです。

やる子は「やる」わけですからどんどんできるようになり、やらない子は「やらない」わけですからどんどんできなくなっていく。それは勉強に限らず、スポーツでも、芸術でも、同じです。

しかし、ここは、「やればできる」と思いこまずにはいられない、子どもの気持ちにも思いをはせてみたいと思います。

彼らは、毎日勉強に向き合っています。授業やテストで日々能力を試されて、うすうす、自分の真の実力に気づいています。なのに、親からは重い期待を背負わされている。そんななか、もし本気で勉強をして、成績が伸びなかったら。それこそ、彼らは本当に傷つきます。

勉強さえしなければ、「能力がない」真実に、直面しなくてすむのです。

ですから、彼らは、いつまでたっても勉強を始めません。子どもにとっての最大のいいわけにして、最後の逃げ場が、「やればできる」なのです。

 

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しかし、実はやってもできない

実は

しかし、たとえ彼らが勉強する日がきたとしても、現実は残酷です。残念ながら、「やってもできない」のです。

これにも、いくつか理由があります。

①積み重ねがない

「やってできている」子は、今までに、水面下の努力を積み重ねています。試行錯誤をくり返し、その結果、自分なりの勉強のやり方を確立しているのです。どれくらいの時間が必要か。どれくらいの量が最適か。どんな暗記法が得意か。すべて把握できていますから、迷いなく勉強に集中することができ、やったぶんだけ、確実に成績が上がっていくのです。

一方、「やればできる」と思っている子は、今まで勉強を先延ばしにしてきましたから、「できるようになるまで」の過程の積み重ねがありません。いざ勉強をはじめたとたん、はたと気づくのです。

どうやって勉強すればいいのだろう?そもそも、勉強って、なんだ?

「やればできる」派は、勉強の仕方がわかっていません。教科書のどこに何が書いてあり、ノートのどこを見れば解決できるかさえ、頭に入っていないことがほとんどです。さらに、勉強する習慣が身についていませんから、生活の中に勉強を組み込んでいくことがむずかしいのです。

つまり、「勉強」以前のところで、大きく差がついているのです。

 

②見直しができない

「やればできる」派は、なぜか、自分に自信があることが多いです。できる子が、実は地道に努力を積み重ねているなんて、夢にも考えたことがありません。やりさえすれば、一足飛びに、パーフェクトにできるはずだ、と無邪気に信じています。

こういった子は、ほぼ例外なく、見直しが苦手です。「やればできる」自分が出した答えなのだから、まちがいがあるはずがないと考えがちなのです。テストにおいても、「ミスをしているかもしれない」と自分を客観的にとらえて、ひとつひとつ、丹念に見直すことが難しいのです。

…つまり、残念ながら、「やってみてもできない」のです。

けれども、勉強にはエスカレーターがあって逆戻りするわけでも、天井があってぶつかるわけでもありませんから、「やればできる」と思っている子どもは、実際はやってみてもできないのにも関わらず、「いつか」「やればできる」夢を、永遠に見続けることになります。

これが、「やればできる」落とし穴。

はまったら、出られません。

 

でも、大人だからこそ言えることがある

大人

でも、わたしたちは大人ですから、子どもたちには、少しの逃げ場を残しておいてやりたいと思います。

子どもは必ず、その子なりに成長します。たとえ目には見えにくくても、親の期待ほどでなくても、必ず、です。

「やればできると思う子は、やってもできないんだよ」

などという真実は、子どもには絶対言いたくないし、言う必要もないと思っています。だって、次は本当に、やればできるかもしれないのですから。

天が「やればできる」と言ったなら、もちろんうなずいて、こう答えたいと思います。

そうだね。やればできるよ。

「やればできる」とは、子どもの可能性を信じる、やさしい言葉でもあると思うのです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。