主役の条件

ドラマや映画、舞台での主役の条件とはなんだろう・・・?

最近そんなことを真剣に考えています。朝の連続テレビ小説「ブギウギ」を観ているからです。

「ブギウギ」は往年の歌手・笠置シヅ子さんをモデルにしたドラマで、趣里さんがヒロインを務めています。が、まったく主役感がありません。正直、初期のヒロイン(にしか見えなかった)蒼井優さんが退場して以来、いつになったら次のヒロインが登場するのだろうかと首を長くしてしまうほどです。

こういうドラマはめずらしいです。今まで「主役がだれか」などと考えながらドラマを観たことはありません。美しかったり演技がうまかったりして、魅力を隠しようがない人が、ヒロインになるのです。しかし、趣里さんの場合はどちらでもなく、いったいだれに感情移入しながら観ればよいのかわかりません。

しかも若くてまだまだこれからという新人女優さんならば、こちらも「つきあうよ、あなたの成長に!」と余裕たっぷりに構えるのですが、趣里さんは朝ドラヒロインとしては高齢なうえにかなりのキャリアの持ち主で、もう完成している女優さんです。半年後に成長しているという楽しみが持ちにくいのです。

ドラマの作りも不思議で、幼稚園の発表会などでよくある、「せりふがある人が一歩前に出る」「ほかの人は棒立ち」的な演出が多いです。初期の梅丸歌劇団が舞台になっていたころは、何か事件が起こっては、劇団員が円陣を組んで棒立ち、趣里さん演じるスズ子が一歩前に出て「ワテ、○○○でっか!」とわめき散らすのが定番になっていました。ここでひとことずつでもほかの団員のせりふがあればそれぞれの個性が出るのに、まったくないので、最後まで団員の見分けがつきませんでした。

しかもヒロインらしき方は、一歩前にしゃしゃり出てくるわりには、「うまく言われへんねんけど」とか「ようわからんのやけど」のようなあいまいなせりふが多く、いや、それをちゃんと言葉にするのがドラマちゃいまっか?とツッコミを入れたくなります。「遅れてすんまへん」と、いつも遅刻しているらしいのも気になります。

しかし、そうはいっても、演者に圧倒的な魅力があれば、ドラマというフィクションにつきものの「突飛な設定」や「強引なストーリー」も多少は目をつぶれるものなのです。ところがこのドラマでは、ヒロインが一本筋が通った存在感を示せないために、ドラマ全体がうそっぽくなっています。

主役は大切です。

さきの朝ドラ「らんまん」では、神木隆之介さんの安定した誠実な演技を受けて、登場人物みんなが安心して演技をしているように見えました。伝説の朝ドラ「あまちゃん」では、能年玲奈さん(現・のんさん)が、はつらつとした若さとまっすぐさで、ドラマの方向性を指し示していました。

「ブギウギ」も、そうあってほしかったなと思っています。

すっぴんの場面が多いなら、すっぴんでも輝ける人を。5ミリのつけまつ毛をつけるなら、それが映える人を。「ようわからんのやけど」というせりふを言わせるならば、表情で語れる人を。歌を歌わせるならば、「いいな」と共感できる歌唱ができる人を。

そういうヒロインを観たかったです。

趣里さんはオーディションで選ばれたということですが、本当にそうなのでしょうか。ご両親がともに有名芸能人ですから、どこかに忖度や計算があったのではないでしょうか。・・・などと視聴者が勘ぐってしまうようなら、ヒロイン失格なのです。

最近は「ブギウギ」も毎日観ることはなくなり、一週間に一回くらい、まだ魅力が発揮されていないのかな?と、ほぼ怖いもの見たさで流し観しています。もうすぐ、それもなくなるでしょう。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。