プリントがぐちゃぐちゃ

発達障害グレーゾーンの高校生・天は演劇とともに毎日いきいきと過ごしており、いっけん発達障害ではなくなっていますが、素の姿は小学生・中学生の頃となんら変わっていません。

かばんの中には、常に大量のプリントがぐちゃぐちゃに詰め込まれています。

奥底でくしゃくしゃに丸まったもの。一応ファイルには入っているが、中を整理せずに次から次へとつめこんでいくために、ファイルからはみ出て、はしっこがずたずたになっているもの。

高校生になり、さらにプリント類が増えているようで、かばんの中に入りきらなくなったものは机の上に放り出され、さらには床の上まで浸食しています。

見かねて、整理でもしてみようか…と思うのですが、まったく脈絡なくいろんな教科のプリントが積み重なっており、どれが必要でどれが必要でないかが判断できないので、とりあえずすり切れて粉になる手前のような元・プリントだけを捨てています。

天の今までの積み重ねで、わたしのほうも「プリントぐちゃぐちゃ」には慣れっこになっており、なんとなく「これがふつう」と思いこまされています。あまりにも整理整頓できていないが、「高校生ならこんなものなのかも」と楽観的にとらえていました。

しかし、この間、たぶんプリントがそろわないせいで困った天が友だちから借りたらしきファイルが、机に置かれていました。「ほう」と何気なく手にとったわたしは、その美しさに衝撃を受けました。

表紙には教科名と名前が書かれ、プリントは配られた順にすべてファイリングされ、もちろん書き込みやまちがい直しもなされ、先生の検印もあります。

これらはすべて当たり前のことなのですが、天のプリント整理術?に慣れたわたしにとってはまさに、雷に打たれたような衝撃でした。

そういえば高校一学期の懇談で、先生が「ファイルを教科分用意しよう」「せめてそこに放り込むだけでも」と何度も念を押してくれていたのを思い出しました。先生も天のプリント整理が「危機レベル」にあると判断していたのでしょう。学校生活の基本から指導してくださっている姿勢には頭が下がります。ただしこれは小学校の懇談ではなくて、高校の懇談です。この内容が懇談でくり広げられる高校生、やばくないか?

天の「ふつう」は、けっしてみんなの「ふつう」ではない。

最近忘れがちになっていたこの「天の法則」をあらためて頭にたたきこみ、さてプリント問題をどう考えたらよいだろうか…としばし目を閉じました…

結論はすぐに出ました。

もう「放っておく」しかありません。

大きくなるにつれて整理整頓が上手になるのではないか…と希望を持って見守ってきましたが、それは幻想だった、ということがはっきりしたからです。

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覚えたのはたったひとつ「表向きに折る」

小さなころから、プリントを整理する習慣をつけるために、工夫はしてきたつもりです。ファイルも用意したし、持ち帰ったプリントを出す箱も用意したし、小学校の最初の頃は一緒に整理もしました。

しかし、しだいにプリントがファイルに入らなくなり、箱にはほこりがたまるようになり、やがてはわたしがランドセルの中から必要なプリントを探し出すはめになりました。

そのなかで天が身につけたのはたったひとつ、「プリントは表向きに折る」だけです。

天がいつもプリントがないないと騒いでいるので、「表が見えるように折ると、ひとめで中身がわかるよ」と話して、表向きに折ることを徹底させました。

…と、天のために教えたように錯覚していましたが、記憶をたどってみると、違いました。

わたしがこれを最優先に教えたのは、天が持ち帰るぐちゃぐちゃのプリントの中から、「保護者向けのお手紙」を探し出すのがたいへんだったからです。ファイルに入れなくても、箱に入れなくても、表向きに折ってくれさえすれば、ランドセルから取り出してざっと並べるだけで、必要な手紙を見つけることができます。

何年かはかかりましたが、天はプリントを表向きに折ることだけはやるようになりました。

整理こそしないものの、わたしのために、プリントをもらったらまず「表向きに折る」ルールだけは、天は守ったのです。

そして、最近の進歩としては、「大事なプリントだけは出してくる」ようになりました。

面談の予定表や保健関係の手紙など返事が必要なプリントは必ず朝、テーブルに置かれています。これはなんとかファイルには入れられているようで、はしっこがくしゃっとしてはいるものの、全体的にはきれいです。

大切なことだけはわかっている。

ならば、それでいいじゃないか。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。