発達障害グレーゾーン・天を育てるなかで、ずっと不思議に思っていることがあります。
なぜ先生方は、天にこんなにやさしいのだろう。
ものすごくお忙しいはずの学校の先生方の、天に対する温かい目を感じることがとても多いのです。
天兄を育てていたときは、そう思ったことはありません。学校の先生はふつうに「学校の先生」で、必要以上のやさしさや思いやりを感じることはありませんでした。
特に天兄と天が通っていた中学校は、公立中学校でありながら「まるで軍隊」とうわさされることもあるほど、厳しいことで有名です。
わたしもその厳しさのなかで成長してほしいと考えて天兄を預けていたし、天兄も緊張感を持って通っていたと思います。
でも、天が中学校に通うようになってから、やけに先生がやさしいと思うようになりました。「軍隊」感がまるでないのです。
天が一年生の頃、懇談で学校を訪れ、ふたりで廊下を歩いていたときのことです。年配の先生が向こうから歩いてきました。
先生は天を見ると、わたしに近づいて、
「数学の○○です。天くんはいつもがんばられています。先日も保健委員の発表で(そのとき天は保健委員をやっていた)すばらしい発表をしていましたよ」
とおっしゃったのです。
わたしは恐縮して、「ありがとうございます」と答えました。が、家に帰ってから事実を並べて考え直してみたところ、どの角度から考えても、天が保健委員会の発表をがんばっていたとは思えないのです。
確かに最初の数日はがんばっていたかもしれない。放課後残って準備をしていた日があったように思います。けれども最後は、クラスのもうひとりの委員に丸投げして委員会を欠席していた(家で寝ていた)し、実際に発表を行ったのはその子なのです。
それを、なぜ先生はあのようにおおげさにほめてくださったのだろう・・・
と首をかしげていたのですが、似たような経験はその後も続きます。
アトピーがひどくて天の休みを電話で伝えたとき、電話口で先生が
「美術の○○です。本当にたいへんですね。いつもがんばっているのに。この前の作品も、おもしろかったですよ。担任にもよく伝えておきまね。お大事に」
と声をかけてくださったのです。
天の作品がおもしろい・・・?
天には美術のセンスはないと思っています。描いたり作ったりしてくるのはいつも黒い背景や心臓の立体(天からすると「ハート」らしい)など気持ちのよくないものばかり。いくら美術作品のよしあしが個人の趣味に委ねられるとしても、先生があの作品たちを評価するとは思えません。
時代が変わったのだろうか、先生の質が変わったのだろうか、今まで単にやさしい先生にめぐり会えなかっただけだろうか、わたしが年をとり、先生を見る目が変わったのだろうか・・・とあれこれ考えて、ふと思い当たりました。
天のだめだめさが、「先生のやさしさ」を引き出しているのではないか。
天はいつだって、弱点むき出し。それを隠そうともしていない。そういう子どもに対して、ついやさしく手をさしのべたくなるのが、先生というものなのかもしれません。
天が高校の合格発表の帰り、合格を知らせに職員室に寄ったとき、(ほかにも同様の生徒がいたにも関わらず)職員室にいた先生が全員、わっと集まってきて、
「合格はしたけれも、まだ入学を許可されたわけじゃないからな。しっかりやれよ」
「(次回登校日までの課題が出されていたので)課題はちゃんと出せ。合格を取り消されたらどうする」
「ちょっと課題を見せてごらん。作文の下書きの紙、何度も書き直せるようにたくさんコピーしてあげよう!」
と口々に激励?を受けたそうです。
卒業式では、お世話になった演劇部の顧問の先生に、
「おかあさん。本当に高校に合格できてよかったわ」
と声をかけられました。
「いやいや先生、なんといっても、倍率が低かったから」
と返すと、
「それでも心配だったわ。大丈夫かしらって」
とおっしゃいました(この先生は、天のことを「舞台では別人」と最大限にほめてくださった先生です)。→それは、ほめ言葉でしょうか?
天を心配していたのは、どうやらわたしだけではなかったようです。本当のところ、学校ではどんな存在だったのだ、天は。どれだけ先生方の手を焼かせていたのだ。想像するだけで恐ろしくなります。
一連のことを通じてふと思い出したのは、仕事関係の集まりで、たまたま隣に座った方と話をしていたときのことです。
その方は以前占い師をされていたそうです。
なんとなくの話の流れで、実は息子のことで悩みがある、と打ち明けたのです。
その方は、「もっとちゃんと見ないとわからないんだけど」と言いながら、天の名前から簡単な占いをしてくださいました。
その方は天のフルネームを見てうーん・・・としばらく考えたあとで、こう言いました。
「確かに20歳まではたいへんね。でも、20歳を過ぎるとすごくよくなるの。この子は、先生や上司に恵まれます。だから、よい人生を歩める」
これは、わたしが聞きたかった言葉です。きっとその方も、言葉を選んで選んで、わたしのために言ってくれたのだと思います。
いつかわたしがいなくなっても、天は先生や上司に恵まれて、よい人生を歩むことができる。実際、そのとおりになっている。そう考えると、とたんに未来が明るいものに見えてきました。
そうであるならば、なんの心配もありません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。