それはほめ言葉でしょうか?

発達障害グレーゾーンの息子・天がほめられることが、たまにあります。

けれども、そのまま受け取ってよいのだろうか…と考えこんでしまうこともしばしば。

たとえば、以下のふたつの言葉をかけられたとき。

それは…、ほめ言葉でしょうか?

①地頭がよい

地頭がよい

発達障害グレーゾーンの子どもの運命といってよいものとして、「評価されにくい」という点があります。

もちろん、評価されにくいでしょう。評価されにくいに決まっています。

学校には遅刻がち。忘れ物が多い。提出物のしめきりが守れない。

こういう生徒に対しては、わたしが先生だったとしても、よい評価はつけないと思います。

親は、毎日のことなので慣れっこになっていますし、「これもこの子の個性」…とあきらめとともに受け入れざるを得ない状態に追いこまれていますが、社会はそうではありません。数字というものさしで冷徹に切り込んできます。

天の現在の学校の評定もかんばしくはありません。

しかしながら、テストの点数は悪くはないのです。悪いのは「評定」つまり「内申」です。

学校では、たとえ定期テストの点数が悪くても、授業態度が積極的であったり、提出物が締め切りまでにきちっと出されていたりすれば、よい評定がつくようになっています。

天の場合は逆で、授業態度が消極的で、提出物も満足に出せないために、評定が点数を下回ってしまうのです。

そうなると、評定と実力テストの点数がアンバランス、という事態が起こります。つまり、評定から考えると実力テストの点数が高すぎる。実力テストの点数から考えると評定が低すぎる。

先日の懇談でのこのくだりで、先生の口から「地頭がいいんだね」という言葉が飛び出しました。

「地頭がよい」という言葉は、基本的にはほめ言葉です。

しかし、この言葉が使われるのは、主に「成績がよくない場合」に限られるのではないでしょうか。

成績がよい場合、ほめ言葉として「地頭がよい」を使うのは、失礼に当たるように思います。もちろん地頭がよいから成績がよいわけですが、成績のよさを地頭のよさだけに結びつけてしまうのは、それ以外の要素=たとえば努力や積み重ねを無視することになってしまうからです。

「地頭がよい」と言われたら、それは「成績は残念だけど」という意味です。

親としても、「はあ…」と息をつくしかありません。「地頭がよい」という言葉では、現実を変えられないのです。

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②舞台では別人

舞台では別人

天は演劇部に入っています。

演劇部では評価されているようで、部長を務め、公演ではいつも主役を任されています。

先日、天の公演を見にいって、開演前に顔を合わせた演劇部の顧問の先生が、満面の笑みで語りかけてくださいました。

「おかあさん、楽しみにしていてください。舞台では別人ですよ~!」

わたしは「ありがとうございます」と答えたものの、たちまち複雑きわまりない気持ちでいっぱいになりました。

もちろん先生は先生なりに、せいいっぱいほめてくれたのだろうと思います。

天は舞台では別人のように、「いきいきして」いたり「輝いて」いたりするのでしょう。

では、舞台を降りたら?

「いきいきして」おらず「輝いて」もいないということでしょうか?

実際、そうなのでしょう。

それは、わかっていたことです。だから、わたしの気持ちが複雑きわまりなくなっているのです。

人生では、舞台の上よりも、舞台を降りている時間のほうが長いのです。

親としては、舞台の上で別人もよいけれども、舞台を降りても別人でいてくれたら、どんなに安心でしょうか。

舞台で「いきいきして」「輝いて」いる天を見ながら、ますます複雑きわまりなくなっていく自分を感じていました。

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しかし、結局はありがたく受け取る

受け取る

ここまで天に対するふたつのほめ言葉について考察してきたわけですが、やはり、その深い意味を持つほめ言葉たちを、ありがたく受け取ろうと思っています。

言ってくれた人たちは、天に関心と愛情を持ち、純粋にほめてくれたのです。

その気持ちにはまったくくもりはないと思います。

くもりがあるのは、わたしのほうです。天に対して不安や心配を抱いているので、ほめ言葉をほめ言葉として受け取ることができないでいるのです。

天をほめてくれて、ありがとうございます。

天をほめてくれる人がいる。そのありがたい事実を忘れないでいようと思います。

その輪がつながって広がって、天の人生がよいものになってくれたらいいなと思っています。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。