親の行動は、子どもへのメッセージ

先日、夫と話し合いをするという、いや~な事態になりました。何を話し合っていたか、といいますと、夜中に夫が天に、ラーメンを作って食べさせていたことについて、です。

天は春休みの宿題を、例によって先送りして、提出日前日に大あわてで片付けていました。もっと正確に言うと、提出日前日の、夜10時を過ぎてから、です。

春休みというのに、全科目、けっこうな量の宿題がありました。主要5教科のプリント集やワークはもちろん、音楽、美術まで。春休みは2週間ありますから、計画的に進めておけばそんなに負担ではないと思うのですが、なんせ天は計画を立てられないたちですから。ときどき思い出したように「そうそう。宿題をやらないと」と発言して、さも「宿題があることはわかってますよ。もちろんやりますよ」風なポーズをとりながら、なかなか取りかかろうとはせず、本当にやる姿勢を見せたのは、前日の夜10時。

夜中にふと目を覚ますと、宿題をやっているはずの天が、ラーメンをすすっています。夫が夜食としてラーメンを作ってやっていたのです。

 

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夜中に、子どもに食事させたくない理由

夜中に子どもに食事をさせたくない理由

深夜に、子どもにものを食べさせない。これはわたしの中では、子育ての大切なルールです。いくつか理由はありますが、いちばんの理由は、夜中に食べると、朝起きなくなるからです。

夜ごはんをほどよい時間に食べて、くつろいで、お風呂に入って寝る。そしておなかが空いたころに目が覚めて、朝ごはんをたっぷり食べる。これが、一日の活力を生む自然な流れだと思います。

夜食を食べると、それも夜12時を過ぎてから食べると、この自然な流れに水をさすことになってしまいます。朝になってもおなかがいっぱいであれば、子どもは目を覚ます理由がありません。起きるきっかけがなく、だらだらと眠り続けることになります。

子どもに規則正しい生活を送らせようと思うなら、子どもには、晩ごはんのあとは何も食べさせないことです。

 

でも、夜中に子どもに食べさせたい理由

でも、夜中に子どもに食べさせたい理由

ただ同時に、「うまいものは宵に食え」という言葉も知っています。これは実家でよく使われていた言葉です。せっかくのうまいものも一晩たつと味が落ちてしまうから、夜のうちに食べてしまったほうがいいという意味です。

わたしが幼いころ、よく父が、会社帰りにおみやげを買って帰ってくれました。不二家のソフトドーナツやヒロタのシュークリーム、千成屋の舶来のキャンディやチョコレート…今もなつかしく思い出す、子ども時代の幸福な思い出です。まだ外がほの明るい時間帯のこともあれば、歯を磨き、寝る準備がすっかり整ってからのこともありました。

そんなとき、母は、「今食べよう。うまいものは宵に食えって言うからね」と言って、食べることを許してくれました。その、特別感あるうれしさは、今でも忘れられません。できたての、ふわふわのシュークリームのおいしさ、お砂糖たっぷりのドーナツを夜に食べているという背徳的なドキドキ感は、何ものにも代えがたいものがありました。

けれども、それは毎日のことではありません。「ときどき」だからよいのです。天は夜中、ヨーグルトやお菓子など、何かしら食べるのが好きなようです。でも、夜中に食べると、夜にぐっすりと眠ることができません。結果的に、朝起きることができなくなります。特に天の場合、朝に異常に弱いですから、親からの働きかけとしては絶対に、何も食べさせないようにすることが必要なのです。

なのに、夫がラーメンを食べさせていた…

なんで?と夫に聞くと、「がんばっていたから」と答えました。確かに、そういう面はあります。たったひと晩で春休みのすべての宿題を終わらせようとしているのですから、がんばっていないわけではありません。その姿を見た親が、ラーメンでも作ってやろうか、という気持ちになるのは、当然ともいえます。

さらに、夫には、別の思いもありました。

夫の父親は会社を経営していたので忙しく、子どもだった夫が起きている時間に、家で顔を合わせたことがほぼなかったそうです。父親と遊んだ記憶もほとんどないそうですが、ひとつだけ、今も心に残る楽しい思い出があると言います。それが、ときどき父親が作ってくれた、夜中のラーメンだったそうです。まさにわたしの、「うまいものは宵に食え」とおなじです。

夫は、父親が息子にラーメンを作ってやることを、大切なコミュニケーションだと考えているのでしょう。これはこれで、胸を打つ、ひとつの物語だと思います。

 

 

しかし、それは誤ったメッセージ

しかし、それは誤ったメッセージ

でも正確に言えば、天はがんばっていたのではありません。本来ならばもっと早くからやっておかなければならなかった宿題をずっと先延ばしにし、間際になって必死に片付けていたわけです。たぶん、ゆっくり考えたり、字をていねいに書くなどという余裕はなく、一刻も早く終わらせることだけを考えて、猛スピードで片付けていたはずです。それはもはや、勉強ではありません。もちろん、「がんばっていた」面もあるわけですが、がんばり方が間違っています。ここで導きたい行動は、「提出日前日に、宿題を必死で片付ける」ことではないのです。あくまでも、「計画を立てて、毎日コツコツと積み上げる」という、地に足のついた行動を、天から引き出したいのです。

スピード重視の「片付け勉強」を、「がんばっていた」と評価し、ラーメンというごほうびを与えてしまうと、天の中でその行動は肯定されます。「これでよいのだ」と天が思い込めば、次の長期休みの宿題も、「提出日前日に猛スピードで片付ける」ことにつながってしまいます。

ですから、親は、子どもがよくない行動をしているときに、決してほめてはいけないのです。たとえ言葉でほめなくても、「夜食を作って応援する」というような、ほめるとイコールの行動をとるのはご法度です。

また、あわせて考えなくてはならないのが、天が発達障害である、という事情です。

「人の気持ち」にうとい天は、父親が作ったラーメンには「愛情」という、目に見えない名札がついている、ということがわかっていません。

ここで、「愛情という名のラーメン」をテーマにした、理想とする筋書きがあるとすれば、

①宿題をがんばっている。計画を立てて進めていたので、もう少しで終わりそうだ

②その姿を見た父親が、ねぎらいの気持ちで夜食のラーメンを作る

③おいしい。息子は感謝し、もうひとがんばりして無事に終わらせることができ、気分よく始業式を迎える

という、好循環なそれではないでしょうか。

しかし、天の場合

①先延ばしにしていた宿題を大あわせて済ませようとしている

②まだまだかかりそうだ、と見てとった父親が、ラーメンでも作って気分転換させてあげようと思う

③おいしい。おなかがいっぱいになって集中力が途切れる。ふだんから寝不足ぎみなので、眠くなってしまう

④ますます時間がかかる

⑤宿題は終わるかもしれないが、朝起きられない

このような悪循環になってしまいます。

案の定、翌日、つまり始業式の日、天は間に合う時間に起きられず、ごはんも食べずに走って出ていきました。まさに悪循環なシナリオが実現してしまったのです。

 

 

でも、ほめるべき点はある

でも、ほめるべき点はある

ただ、ここでひとつ、見落としてはいけない、確かな事実があります。

それは、天は「宿題を全部終わらせた」ということです。

実態はギリギリのバタバタであったとしても、提出日に間に合ったことは認めなければなりません。今回の流れの中でほめるとすればその一点、「全部できたね」だけです。

しかし、自分の子どもに対して、そんなに厳しくてよいのか。

ため息とともに、そう思うときがあります。

もっと子どもをほめたい。

そんな希望もあります。そういうとき、どうすればよいか。

簡単です。子どもに対するハードルを下げればよいのです。

さきほどの宿題の件でいえば、仮に「全部できたね」がいちばん高いハードルとすれば、その手前、「眠いのによくがんばっているね」、さらにその手前、「宿題に取りかかることができたね」、さらにその手前、「宿題があることは覚えていたね」、さらにその手前、「明日が始業式だとよく思い出したね」、ここまで下げれば、ほめることができます。

さて、みなさんは、どの辺りにハードルを設定したいと思うでしょうか。

やはりわたしは、ここでいちばん高いハードルとなっている、「全部できたね」です。いえ、できれば、その先の、「きれいな字で書けていたね」「文章題の答え、よく書けていたね」「美術の提出物の、色がきれいだったね」などの、内容についてほめたいです。

これは、希望です。いつかかなう希望だと、信じています。

親の仕事は長期戦です。その間には、うまくいったり、失敗したり、考えが変わったり、どうでもよくなったり、いろんなことがあります。けれど、高い志は失わずにいたいと思います。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。