成績は「成績」だけの話ではない。生き方の問題

成績は、あらかじめ決まっている

成績

天の2学期の成績が出ました。

1学期とほぼ変わりません。もちろん、そう予想していました。天の、クラスや学校での位置づけに、変わりはないと思っていたからです。

現在の中学校の成績のつけ方は、以前のような相対評価ではなく絶対評価ですが、やはり成績は他との比較の部分が大きいと思います。他より伸びが大きければ成績は上がりますし、そうでなければ現状維持、他より大きく下がればもちろん下がります。成績というものが、集団の中でしか測れない性格を持っているからです。

 

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天の成績を見ていて、成績というものは、個人によってあらかじめ決まっているな、と思うようになりました。

実際の成績が、加点方式でつけるのか減点方式でつけるものなのかはわかりませんが、わたしが天に成績をつけるとしても、同じ評価になると思います。

たとえば減点方式で考えていくと、字が汚い、という時点で、10点マイナス。授業中、発言をしないという点で、さらに10点マイナス。提出物の精度から、さらに10点マイナス。作文が意外におもしろいので、加点方式で10点プラス。

このように必要な要素を順々にプラスマイナスしていくと、たぶん現在の評価と同じになります。成績というものは、案外客観的なものなのです。

成績がよいということは、もともとの能力にプラスして、何かしらの努力をして結果を出しているということですから、やはり賞賛すべきことだと思います。

早く起きて勉強する。それは価値があることです。または夜遅くまで勉強する。それもやはり、価値があることです。これらの価値のあることの積み重ねが、よい成績となって表れるのです。

ただ個人として努力できる限界というのは、人それぞれほぼ決まっています。『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎のような超人的な精神力を持っていれば別ですが、残念ながら、その限界の壁を自分自身で打ち破るのはむずかしいと感じています。成績は個人によってあらかじめ決まっている、というのはそこからです。天は努力することや積み重ねることが苦手ですから、成績を伸ばすことには困難が伴います。

ただ、学校に行っているのなら、そこでベストを尽くすのは当然だと思います。わたしがその姿勢を重視するのは、今それができなければ、一生同じことをくり返すと思うからです。

学校では努力できなかったけれど、職場なら努力できる、ということをわたしは信じません。もちろん人間向き不向きはありますから、一概には言えないでしょう。向いた場所で一気に花開くことは、あるにはあります。でも、人間の根っこはひとつであり、物事に向き合う姿勢はどれも共通しています。授業中、先生の話を集中して聞けない人が、上司の話に真剣に耳を傾けるでしょうか。字をていねいに書けない人が、領収書を正確に書けるでしょうか。

たとえ天が発達障害で、集中したり積み重ねたりすることが苦手であったとしても、そのなかでできることがあると思います。

 

子どもに必ず身につけさせたいこと

身につけさせたいこと

わたしが天との生活で日々心がけているのは、今起こっていることはすべて、天の選択の結果なのだ、ということを天に実感させることです。

どんな行動を選択するかは天の自由ですが、その結果は、自分自身の選択の結果として受けとめなければならない。どんな結果であろうとも、その結果を生む行動を選択したのは天だ、ということです。たとえば、

●朝起きられない←早く寝なかったから。

●忘れものをする←翌日の準備をしっかりやっておかなかったから。

●テレビが観られない←宿題を早くやっておかなかったから。

別の行動を選んでいたら、どうでしょう。

●朝さっと起きられる←早く寝たから。

●忘れものがなかった←翌日の準備をしっかりやっておいたから。

●テレビが観られる←宿題を早く終わらせたから。

よい行動を選べば、よい結果がついてきます。逆に、よくない行動を選べば、よくない結果がついてくるのです。

そこを理解できなければ、自分の行動に責任を持ち、自分なりの成長を遂げていくことはできないと思います。

しかし残念ながら、今のところなかなかうまく進んではいません。天は何事も「自分ごと」としてとらえられないという弱点があり、常に責任をこちらに転嫁してきます。夜遅くて朝起きられないことを「朝起こさないなんて意地悪だ」、宿題が終わらなくてテレビが観られないことを「なんでテレビを観せてくれないの。ちょっとだけ」と、自分の行動を棚に上げて平気な顔で言ってくるのです。

わたしのほうは、毎日気を抜けません。つい、ゆずってしまいそうになるからです。やはり自分の子どもはかわいいものですから、天にそう言われると、「あ、意地悪だったかな?」「そうだよね、テレビを観てリラックスするのも大切だよね」などと、なんとなく反省し、天の言いなりになってしまいそうになるのです。

いやいや。

と、すかさず自分を鼓舞しなければなりません。一度でも例外を作ると、天はそれを見越した態度をとってくることがわかっています。

天が幼いころ、漢方薬を処方してもらっていた薬剤師さんに言われたことがあります。

「この子があなたの子どもとして生まれた意味を、よく考えてみて」

この言葉を、親として受けとめたいと思います。

天の成長は、わたしの成長。悩みつつ、前に進むつもりです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。