字が汚いのはなぜだろう。その理由と対策

字をきれいに書くための3つの要素

字が汚い

 

天はすごく字が汚いです。

どれぐらい汚いかというと、計算問題で、自分の書いた「0」と「6」の区別がつかず、答えを間違えます。「7」と「9」もよく似ています。英語でも、アルファベットの小文字と大文字の区別がつきません。字の汚さのせいで実際に損をしているわけですが、損をしていることに天は気づいていないように思います。成績を上げたいならまず字をきれいに書けばよいのに、そんな気持ちはさらさらないようです。

では、字をきれいに書くために必要な要素とはなんでしょうか。主に3つあると思います。

●本人にきれいな字を書こう、という意志があること

●美しい字の形がわかること

●その形を実現するために、自由に手を動かすことができること

つまり、字がきれいに書くのは「完成されたひとつの行為」ですが、その行為を遂行するためには、たくさんの力を複合的に使いこなす必要があるのです。

裏返せば、字が汚い、ということの原因には、これらのどこかに欠落している部分があるか、またはその力の統率力に問題があるか、のどちらかです。

 

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常々思っていることですが、発達障害の子どもは、必要な力を必要に応じて集めて使いこなすことがとても下手です。ひとつひとつの力に難があっても、きちんと集めることができれば全体としてそれなりの大きさの力になると思うのですが、そうはいかないようです。

天に関しては、まずきれいな字を書こう、という意志はありません。字をきれに書くのは無駄、とさえ考えているふしがあります。唯一きれいなのは学校での漢字の小テストですが、それ以外はどうでもいいように見えます。

美しい字の形についても、わかっていないような気がします。そもそも「美しいものを愛でる」情緒を持ち合わせていないのでは…と疑っています。

何年か前になりますが、美しい字の形がわかれば字がきれいになるかも…と考えて、幼児さん用のひらがなのなぞり書きテキストをやらせてみたことがありました。でも、真面目に取り組むでもなく、おもしろがるわけでもなく、結局うやむやになってしまいました。

手先も不器用だと思います。つまり、字をきれいに書けるように手を自由に動かすことができない、ということです。握力は強いのに筆圧は弱く、長時間字を書き続けることも苦手のようです。手に力を入れすぎているか、または力を入れなさすぎているかで、ほどほどの力加減がわかっていないのかもしれません。

手を自由に動かすための練習に、「うずまきを描く」というのがあります。鉛筆を正しく持ってぐるぐるとうずまきを何周も書く、それだけです。これを続けていくうちに手首をやわらかくなり、字を書くために必要な力の入れ方や抜き方が身についてきます。

これも、天は長続きしませんでした。

ほかの問題と同じく、「やりたくないことは絶対やらない」壁にぶち当たってしまうのです。字を書く以前の問題で、立ち往生しているわけです。

発達障害の子どもは、すべてが簡単ではないな、と感じます。

結局のところ、努力を継続できないことがいちばん問題なのです。問題を解決するやり方は幾通りもあるのに、そのどれをも試すことができないことが、わたしはとても悔しいです。

いつものことですが、これは、天の成長を待つしかありません。

天が何かにぶつかり、自分でなんとかしなくては、と思うまで、待つしかない。でも、ただ手をこまねいて待つのではありません。気づきを促すために、わたしはあきらめず、天に対して問題提起をしていきたいと思います。

その際にカギになってくるのは、体験すること、そして周りの人間とのコミュニケーションではないでしょうか。子どもを成長させるには、このふたつが欠かせないと思っています。

字が汚い問題からはずいぶん遠く離れてしまいましたが、結局すべての問題の根本はひとつなのです。そしてそれに対して、親はねばり強く向き合っていくしかない。覚悟を持って、天に向き合っていくしかない。晴れママの挑戦は、まだまだ続きます。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。