子どもの機嫌をよくしたいときは、名前を呼ぼう

名前

わたしは小さな塾を経営しており、幼児さん~小学生が通ってきています。

たいていの子どもは「すごく勉強したい」わけではないが、「勉強はやったほうがいい」とわかっているので、「ほどほどに冷めたお茶」くらいの熱度でやってきます。けれどもときどき、「淹れたてのお茶」のように熱い子や、「すっかり冷めたお茶」のように表情のない子も来ます。そういう子は、あいさつもぞんざいだったり、かばんを投げつけたり、または座ったとたんに寝てしまったりします。学校でおもしろくないことがあったのかもしれません。体調がよくないのかもしれません。

どちらにも共通するのは、「心ここにあらず」という点です。機嫌が悪いのも、眠いのも、いずれも「今ここ」に注意が向いていないのです。

そういうときに、心を「今ここ」に戻して、機嫌をよくする簡単な方法があります。それは、「名前を呼ぶ」ことです。

自分の名前を呼ばれると、人は必ず反応します。

そして、呼び続けると、本当?と思われるかもしれませんが、みるみる子どもの機嫌が直ってくるのです。

それは、「名前を呼ぶ」いう行為そのものが、「あなたに興味があるよ」という合図だからだと思います。

ポイントは、名前を呼ぶときに、特に意味はこめないことです。ふつうに、軽やかに、話の前後に名前を入れこむだけです。

「○○くん、宿題は出したかな?○○くん」

「○○ちゃん、できたら見せてね、○○ちゃん」

「〇〇くん、進んでいるかな、○○くん」

淡々と、これをくり返します。

そうするとあら不思議、子どもがだんだん元気になってきます。子どもは「自分を特別に気にかけてくれている」と気づいて、心が「今ここ」に戻ってくるのです。

こうなるとしめたもので、勉強がさくさく進むのはもちろん、帰るころには機嫌も直り、大きな声であいさつをして教室を出ていきます。

 

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もちろん家でも、天に対して「名前を呼ぶ」作戦を実践しています。

しかしながら、これがうまくいくのは仕事のとき限定で、うちでは、なかなかそうはいかない、というのが現状です。

ふつうに、軽やかに天の名前を呼んでいるつもりなのですが、その、「ふつうに、軽やかに」の部分に、つい何かしらの意味をこめてしまっているのでしょう。

他人の子どもを仕事で呼ぶときは、余裕があります。「うまくいってもいかなくても、どっちでもいいか」と、心のどこかで思っています。一定の時間がたてば、帰ってしまう子どもたちだからです。

しかし、自分の子どもとなると、「絶対、うまくいきたい」と思いがちです。一緒に暮らしているわけですから、子どもの機嫌は重要です。そのうえ、やらなければならない家事は山積みです。「短時間で、少ない労力で、最大限の効果を出したい」と、思ってしまうのも無理はないでしょう。

その下心が、天に通じてしまうのだと思います。もちろん、天が発達障害で、ひねくれものだというのもありますが・・・。まだまだ修行が足りないようです。

さて、名前といえば、最近のお子さんのお名前は、本当にバラエティに富んでいます。

なんと読むのだろう・・・と困ってしまう名前もあれば、呼ぶのが少々恥ずかしいような名前もあります。

そんななかで、親御さんのセンスを感じた名前があります。「スカイくん」という、男の子の名前です。

「スカイ」といえば、英語で「空」です。しかし、この名前の見事なところは、漢字で「颯海」と書く点です。ひとつの名前の中に、「海」と「空」が同居しているのです。なんと広がりを感じさせる名前でしょうか。キラキラネームという枠を超えた、ハイセンスな名前だなと感心しました。

けれども、よくよく思い返せば、高校時代、クリスチャンのご家庭で育った友だちで、「イザヤ」という男の子がいました(漢字が当てられていましたが、忘れてしまいました)。妹は「ルカ」でした。仏教系の友だちでは、「佐理(さり)」という名前の男子もいました。今とは少々意味合いが違うものの、当時としてはキラキラネームで、かなり目立っていました。けれども特に驚いたりはせず、名前もあわせてその子の個性としてとらえていたな、と思います。

いずれにせよ、いつの時代も名前とは、親の願いのこもった、親から子への贈りものであることに変わりはありません。

さて、その、願いをこめた名前を、あなたは今日何回、呼びましたか。

たくさん呼んでほしいと思います。「今ここ」を生きることが、だれにも必要だからです。

最後までおつきあいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。