期末テストまで3週間。怒らない子育てを試してみると

テスト前なのに勉強をしない

テスト

2学期の期末テストまで3週間と迫ってきました。

毎日何かしら天に勉強をさせていた晴れママですが、その最低限の勉強さえ、天がやらなくなってきました。

旅行や部活などで一日でもルーティンが途切れる日があると、そのままずぶずぶと「やらない沼」に入り込んでしまうのが、天です。そして、その「楽ちんなほう」を死守するのが、天なのです。

いちどこうなってしまうと、もうお手上げです。何を言っても、天を動かすことはできません。こういうときの天は、とても「意志が強い」のです。

 

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わたしもなんとなく疲れ、あきらめて、結果として、必要最低限のこと以外要求せず、必要最低限のことだけで天をほめる「怒らない子育て」を実践することとなりました。

子どもに対してはもちろん、怒らないほうがよいに決まっています。

しかし、日常生活は、どんどん回していかねばなりません。天のように、「自分のやりたいことをやりたいときにやりたいようにだけやる」のでは、どうにもならないことがあるのです。

たとえば、休みの日に遊びに出かけて、帰りが予定より遅くなってしまった、とします。時間がなくて大急ぎになりますから、家族みんなで協力して、どんどんこなしていきたいと考えます。そうして、天にこう声をかけます。

「今日は遅くなったから、協力してもらえるかな?ママはまずごはんの用意を始めるよ。その間に洗濯物を入れてもらえる?宿題も先にやってもらえるとうれしい」

「わかった」と返事をするので、天にまかせてわたしはごはんを作りはじめます。ところが、どうなったかな?と、天のようすを見ると、何をするでもなくごろごろしています。

「天くん、まだかなあ?もうごはんができちゃうよ」

聞いてみると、「わかってるわかってる」という返事はありますが、だからといって、行動を起こすわけではありません。

何回か声をかけても変わりがないので、そのうちに、わたしの声もとがってきます。

天は天で、「わかってるよ。そんなに言わなくても」と居直るばかり。

結局天は動かず、残った家事はわたしがあとでやるはめになり、天の宿題は深夜まで続きます。そして、「また天が言うことを聞かなかった」という徒労感でいっぱいのまま、一日を終えるのです。

「怒らない子育て」ならどうだろう

怒らない子育て

これは「怒る子育て」の例ですが、では「怒らない子育て」とはなんでしょうか。

数々の本を読んで勉強してみました。「怒らない」ことと、「甘やかす」ことの境界線がどこにあるのか、知りたかったからです。

怒ることがいけないのではない。きつい言葉をかけることで、結果的に「自分はだめな人間なんだ」と自己肯定感をなくしてしまうことが問題なのだそうです。怒るのではなく適切な言葉がけで、子どもをよりよく導いていく…

確かにうなずく内容です。そうありたいと思うし、できる限り実践もしているつもりです。

でも一方で、「発達障害の子には、怒らない子育ては難しい」とも感じています。

もともと天には、「ほどほどがわからない」ところがあります。ほめるとどこまでも図に乗り、叱るとどこまでも委縮し、なんにも言わないと、だらだらしていてもよいのだと勘違いします。

天と、勉強のやり方や日常生活について、話をすることがよくあります。勉強は毎日コツコツ積み重ねることではじめて身についていくこと、そして規則正しい生活は、心を強くしたり、からだを強くするために必要なものなんだよ…などなど。

けれど、ふつうの表情で穏やかに話をするだけでは、天は「一般論」と理解し、「自分にとって必要であり、自分が実践しなくてはならないのだ」という切実さが伝わりません。

やるべきことをやっていないとき、わたしが怒ってみせることではじめて、「しまった、ママが怒るほどたいへんなことだったんだ」と、「自分ごと」として天はとらえているように思います。

でも、怒ったからといって、次から天の行動が改善するわけではありません。やはり怒る子育ては長い目で見るとよくない、ということなのでしょう。

「怒らない子育て」に潜む意外な淋しさ

「怒らない子育て」の実際

では、現在実践中の「怒らない子育て」はどうか。

残念ながら、効果がすぐには見えません。そして意外なことに、とても淋しいのです。

たぶん、「怒らない」ということの中には、「よくてもよくなくても、まあ、それでよいと認める」という意味合いが入っています。今の天がよいとは思えないが、無理に変えさせず、ありのままを受け入れよう、という、一種のあきらめです。

その部分が淋しくて仕方がない。ある意味天をつきはなし、大人とみなした、と言えるからです。

もう、怒ったり、泣いたりしながら天と関わった日々とはさよならなのだな。あなたはあなたの道を行きなさい。でもそれは、ママとはちがう道だよ。という淋しさです。

昨日天は、ソファに座っているわたしに抱きついてきました。

「こうしていると落ち着く」と。

天が帰ってきたときに、居場所であること。母親ができるのは、それだけかもしれません。

さて、期末テストまで3週間。天がちゃんと勉強しますように。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。