「勉強しなさい」と言わない

勉強しなさいと言わない

子どもに「勉強しなさい」と言うか、言わないか。

もちろん、言わないで勉強するなら、言わないに越したことはありません。

しかし、目の前の子どもがさっぱり勉強しない場合、親としてどうするか。

この問題にはずいぶん悩んで、「勉強しなさい」を言わないチャレンジをして、挫折した経験があります。

      →「実録『3週間勉強の話をしない』トライアル」

あれからわたし自身もさらに悩みまくって、考えて考えて、満を持してもう一度、このテーマで記事を書いています。

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大前提として、勉強は子どもにとって必要だと思っています。

知識と教養は豊かな人生を送るのに欠かせませんし、勉強を通じて精神的に成長するのは事実だからです。

ですから、目の前に勉強しない子どもがいた場合、やはり「勉強しなさい」と言ってしまうでしょう。子どもが勉強するのは当たり前のことです。

人生において、集中して勉強できる時間は限られています。頭がやわらかく、勉強できる環境が整っている若いうちに勉強しておくのが、だんぜん効率がよいのです。そして、若いうちの勉強は、成果が見えやすいという利点があります。テストだとか、受験だとか、定着度が測られる頻度が高い。成果が見えやすいので、モチベーションも保ちやすくなります。反対に、大人になってからの勉強は、成果が見えにくい。もちろん、人格に深みが出るとか、雑談がおもしろくなるとか、それなりの成長はあるのですが、テストの点数とは比べものにならない測りにくさです。だから、今、学生である今、勉強してほしい。

「勉強しなさい」という言葉は、その焦りの結果です。

さらには、親として、子どもの将来を純粋に心配してもいます。

しっかり勉強して頭を鍛え、できるだけよい高校に入り、よい大学に入り、選択肢のたくさんある人生を送ってほしい。

「勉強しなさい」とう言葉は、その願いの結果でもあるのです。

そして、「勉強しなさい」と言えば、もしかしてもしかして、親の気持ちをくんで、子どもは勉強をはじめるのではないか。だって、あなたを産んだ親が、勉強することをこんなに願っているのだから。

「勉強しなさい」という言葉は、親の甘えの結果でもあるわけですね。

 

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いよいよ本当に「勉強しなさい」とは言わない決意

決意

しかし、「勉強しなさい」と言っても勉強しないのですから、もう言葉を発する意味がありません。

それで、いよいよ、本当に、金輪際、勉強しなさいとは言わない決心をしました。

こう決心したのにも、ふたつ理由があります。

経営する学習塾に、発達障害の疑いのあるお子さんが数人いらっしゃいます。

その中のひとり、Aくんは年長さんです。おとうさん・おかあさんともに優秀な方で、現時点で字が書けない、文章を読めない、図形が理解できないAくんが心配で、なんとかしたいと通わせておられます。

このあいだ、いつも送り迎えをされているおかあさんの代わりに、おばあちゃんが来られました。

おばあちゃんは、初孫であるAくんががかわいくて仕方がないようす。ゆったりと学習が終わるのを待ちながら、「どうしてパパとママは、あんなに勉強、勉強って心配しているのかしら。だって、Aはすごくいい子よ」とほがらかにおっしゃいました。

このおばあちゃんの言葉に、わたしは虚を突かれました。能力ではなく、その子自身を見つめて、まっすぐに信じている。そこに、子育ての真実があると思いました。

もちろん、当のおばあちゃんにしても、Aくんがもし孫ではなく実の子どもだったら、このように力強く言い切れたかどうかはわかりません。

けれども、このおばあちゃんに見守られているAくんはなんとしあわせものなのだろうと、強く思ったのです。

ふたつめは、「マスクド先生」の動画に出会ったことです。

マスクド先生は、「勉強しなさいと言うな」というシリーズの動画を14本にわたって挙げています(現在は非公開となりました)。

ここまではっきりと「勉強しなさいと言うな」という人に、はじめて出会いました。

どんな親であっても、どんな理由があっても、とにかく言うな。一生言うな。

塾を経営しておられるご自身の経験からでしょう、きっぱりと宣言しておられます。

この動画を14本全部観て、ずいぶん自問自答しました。

「勉強しなさい」と言うのがよいのか言わないのがよいのか。さんざん迷ってきたし、今も確信は持てない。けれども、わたしがこんなに「勉強しなさいと言ってもよいのか」と悩んでいるということは、「勉強しなさいと言わないほうがよい」と、本能的に知っているからではないだろうか。

天が伸びていくことを信じているなら、「勉強しなさい」などと言うだろうか。いつか、自分に必要な勉強をはじめることを信じていないから、つい「勉強しなさい」と言ってしまうのではないだろうか。

もちろん、いろんな考え方があると思います。

中学生の子どもを持つ友人と話す機会があり、「勉強しなさいと言うのをやめようと思う」決意を打ち明けてみました。

すると友人は、「それは怖くてできない」と言うのです。

友人自身は、親から勉強しなさいと言われたことがなかったそうです。そのため本当に勉強せず、成績は最底辺。中2のときに「あたしって、ぜんぜん勉強ができない」とはたと気づいたそうです。それを機に猛勉強をはじめ、なんとか普通レベルになって得意分野で資格をとり、今の仕事につながったとのこと。自分の子どもには、その「本当に勉強ができない」恐怖を味わってほしくないので、「勉強しなさい」と言ってしまうと言います。

それはそれで、ひとつの真理だなと思います。

 

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「勉強しなさい」と言わなければ、子どもは勉強しないのか

「勉強しなさい」と言わないことのいちばんの不安は、ここではないでしょうか。

勉強しなさいと言わなければ、勉強しなくなるのではないか。取り返しがつかなくなるのではないか。

わたしも、それを恐れてきました。

ただ、大部分の子どもは「勉強できるようになりたい」と思っています。それは、人間の自然な欲求のひとつです。

わたし自身、学習塾を経営していてたくさんの子どもを見ていますが、勉強がきらいでやりたくない、という子どもはひとりもいません。子どもは知りたいことがたくさんあり、わからないことがわかるようになることが楽しいと思っており、勉強して親に認められたいと思っています。

では、勉強しなければならないときに勉強しないのはなぜか。

それは、勉強に限らず「今、すべきことがわからない」という精神の未熟さのあらわれだな、と思うようになりました。

子どもは多面体であって、勉強はほんの一部分です。ほかのすべてが成長していないのに、勉強という一面だけが成長するということはあり得ません。子どもはトータルに伸びていきます。精神的に成熟し、人生や未来を考えられるようになれば、勉強という一面も成長をはじめるのではないでしょうか。

ですから、結局は待つしかないのだな、ということです。必要なのは「勉強しなさい」と言うことではなくて、成長を信じていることを伝えていくことではないかな、と考えています。必要な成長がなされ、準備が整ったとき、おのずと勉強をはじめるのではないか。

そういうわけで、「勉強しなさい」とは言っていません。

天は言われたくないことを言われなくなったので、ご機嫌にしています。もちろん勉強はしていませんが、不思議なことに成績は下がってはいません。たぶんそれが、この問いに対する答えなのです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。