テストの結果から考えること
天の2学期中間テストの結果が出ました。
一学期はコロナによる休校で、期末テストしかありませんでしたから、中学生になってはじめての中間テストになります。
さて、気になる点数は。
国語・数学・理科の3教科は80点超え。
平均を15~20点上回り、悪くありません。
しかし、社会と英語が50点台で、平均点ぎりぎり。
社会は歴史です。ほとんどが語句の漢字間違いです。
英語は…どうやらまったく理解できていないようすです。
わたしとしては、これはかなりショックでした。毎日の手作りプリントの効果がまったくなかったようなので。
うすうすわかっていましたが、積み重ねという言葉は天の辞書にはないようです。積み重ねる気持ちがないのか、または積み重ねても積み重ねても忘れていくのか、そこははっきりしません。ただ、遠いゴールをめざしてコツコツ努力していくのは、どうにも苦手です。
それは、中間テスト前のようすにも表れています。
天の中学では、テスト前に勉強の予定をくわしく立てさせられます。毎日どの科目のどんな勉強を何時間するか。でも、天は自分で作った予定表をまったく無視して、まったく勉強しませんでした。部活がなくなって早く帰ってきても、テレビを観たり、マンガを読んだり、のんびり過ごしています。
目が覚めたようになるのは、テストの前日でした。
テスト終了日に、プリントやノート、ワークなどかなりの量の提出物を課されています。最低限の勉強量を確保する、という、学校側のねらいなのだと思います。
その提出物を出さなくてはならないことに、突然気づくのです。それだけは、集中して取り組んで、きちっとやって提出したようです。逆に言うと、テスト前の勉強はそれだけです。
テスト勉強とは、英語の単語であれば正確につづれるようになるまで覚えこむ、数学ならば教科書に載っている問題はすらすらできるようになるまで繰り返す、などなどを行って、テストでどんな問題が出ても答えられるように備えることだと思っていましたが、天の場合、「テストについてぼんやりと考える」ことをテスト勉強だと思いこんでいるふしがあります。手を動かして問題を解いていくことこそが勉強だとは、夢にも思っていないようです。
それについても、天とずいぶん話をしましたが、「ぼくは勉強している」と言い張ります。天の「勉強している」と考えるレベルと、わたしの考えるレベルには、ずいぶん開きがあるようです。
この差を埋めるのは、むずかしいと感じます。そうなれば、天に任せるしかないのでしょう。
「子どもに任せる」とは
子どもを信頼して任せる、とうのは、とても響きのよい言葉です。そうできる親こそがよい親だと、考えられがちです。しかし、その言葉に潜む罠には、親は十分注意すべきです。
わたしは、子どもに任せるだけではいけないと考えています。子どもにはまだ、じゅうぶんな判断力が備わっていません。それが子どもなのです。任せるとしても、何らかの指針を与えて子どもを観察し続けることが大切だと思います。「任せる」と「ほったらかす」はちがうのです。
中間テストが終わってから、天は「つぎのテスト5科目で400点はとりたいなあ」と、遠くを見ながら言いました。
天は、よい点数をとりたいのです。勉強はしないけれども、向上心を持っているのです。これが天のポイントだと思っています。ここをどう刺激して、期末テストへひっぱっていくか。じっくり考えたいと思います。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。