わたしたちはふだん、いろんな感情を持ちながら生きています。そしてそれを家族や友だちと共有することで、おたがいの新しい面を発見したり、絆を深めたりしています。
けれども、天にかかるとすべてが
「うん、まあ」
になります。
これはよい返事で、悪い返事は
「それはちょっと」
です。
「今日は学校、どうだった?」
「うん、まあ」
「テストは返ってきたのかな?」
「それはちょっと」
という感じです。
あれ?もう話が終わった・・・
発達障害児の特性だと思うのですが、天もご多分にもれず、気持ちを言葉にする、いわゆる「言語化」が苦手です。
つい、天兄や夫と話しているようなつもりで話しかけたら、「うん、まあ」と「それはちょっと」のふたつしか返ってこず、あ、そうだった、天と話していたのだった・・・と気づいて、話し方を変えることがあります。
天を相手にして、何か話を引き出したい場合は、細心の注意をはらって聞き出さねばなりません。きわめて具体的に問いかけなくてはならないのです。
「修学旅行、どうだった?」
と聞くと、
「まあ」
と答えるので、話がそれ以上発展しません。
そこで、
「修学旅行、だれといっしょの部屋だった?」
と具体的に聞きます。
すると、
「○○さんと○○さんと・・・」
と、ぽつりぽつりではありますが、具体的な答えが返ってきます。それもゆっくりなので、辛抱強く待たなくてはなりません。
合い間にときどき夫がよけいな口をはさんだりして、天が口をつぐんでしまうことがあるので、天が話しやすいシチュエーション作りにも注意をはらわねばなりません。
こんなふうに、こちらにも気力が必要なので、疲れているときや調子が悪いときは、天といろいろ話そう、と思わないことにしています。
しかし、考えていないわけではない
けれども、天の中ではいつもいつも、ものごとがふたつに単純化されているわけではないように見えます。
多くは話さないけれども、天が話すことがときどき、「意外に核心を突いている」と思うことがあるからです。
なのにどうして、ふだんは「うん、まあ」と「それはちょっと」しか出てこないのか。
理由がいくつかあると考えています。
ひとつには、相手に気を遣いすぎているのではないか、ということです。
何か言葉を発したときに、相手と意見がちがっていることを、天は異常に恐れているように思います。なので、相手の出方を伺いながらでなければ、自分の意見を言うことができないのです。
相手にどう思われてもいいや。
と開き直れたら、どんな意見でもどんどん表明できると思うのですが。
また、完璧に答えなくてはならないと思いこんでいる、ということもあるように思います。
質問には完璧な答えを差し出さなくてはならないと思っているので、答えのハードルが上がってしまう。頭の中でうまくまとめるのに必死で、なかなか言葉を発することができない。浮かんだことから話し始めて、あとから足していけばよいと思うのですが、天にとって人に何かを伝えることは、そう軽いものではないようです。
かといって、話すのがきらい、というわけでもなさそうです。
一、二年前、わたしが寝ようとしているのに、いくらでも話しかけてくることがありました。
前に見た映画について、ママはどう思う?と聞いてきたり、このあいだ学校でこんなことがあって、ママはどう思う?と意見を求めてきたり。
「ママと話すのが楽しい」
と言うのです。
日が暮れてから散歩に誘い、夜の冷たい空気の中をふたりで歩いているときには、自分から友だちのことや学校のことをいろいろ話し、
「話すって楽しいな」
と、つぶやいたこともありました。
考えすぎてうまく言葉が出てこない天だからこそ、逆に話したい、という欲求は強いのかもしれません。実はコミュニケーションをいちばん望んでいるのは、天本人なのでしょう。
本当は話したい、人の輪に入りたい。その天の願いが、いつかかないますように。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。