子育てのいちばんの敵は自分

 

自分

うちは、天兄と天に10歳の年の差があります。

結果的にかなり長く子育てをしているのですが、最近になって、ふと思ったことがあります。

穏やかな子育てのじゃまをしているのは、過去の自分の「小さな成功体験」の数々ではないだろうか…

わたしは小さな塾を経営していますが、あるお父さんから、お子さんについての相談を受けました。

「子どもの姿勢が悪いのが気になる」

そのお子さんは、確かに姿勢がよくはありません。けれどもまだ幼児さんで、体幹が安定してきちんと座れるようになるのは、ずっと先のことです。お父さんには、今は発達の途中で、外遊びなどをたくさんしながら「そのとき」を待ちましょう、といった話をしましたが、そのとき、ふと思いました。

お父さんは、非常に姿勢が良いのです。また、声もおなかの底から出ているような大きな声で、明るく、とても魅力的です。

お父さんは今まで、「姿勢がよいこと」を、ほめられ続けてきたのではないでしょうか。

 

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あくまでわたしの想像ですが、そのお父さんが小さいころから姿勢がよく、それを周りの大人から、「〇〇くんは姿勢がいいね」「姿勢がよくて気持ちがいいね」と称賛し続けられてきたのではないか、と思うのです。

つまり、「姿勢がよいのはいいことだ」という成功体験を積み上げてきた結果、逆に「姿勢が悪いのはよくないことだ。だからそれを直さなければならない」という思いこみが生まれているのです。

もちろん、姿勢がよいに越したことはありません。見栄えもいいですし、健康にもいい影響があるでしょう。運動神経もうまく使えるでしょうし、疲れとも無縁かもしれません。

しかし、以前、アレクサンダーテクニークのレッスンに通っていたとき、指導者の方に言われたことがあります。

「背骨は曲がっています。だから、姿勢がいいということは、単に背中を伸ばす、ということではありません」

と言って、背骨を触られたのです。そして、「背骨の本来の形はこうですよ」と言われた姿勢は、ぴんと胸が張った、わたしが思い描いている状態ではありませんでした。

わたしは指導者の方に尋ねました。

「これは、一般に言われるよい姿勢ではないですよね?」

すると、指導者の方は言いました。

「なぜ、よい姿勢にこだわるのですか?あなたが考えているよい姿勢とは、身体には無理がかかっている姿勢なのです。その人によってよい姿勢とは、ひとりひとり違います」

つまり、わたしにも無意識に「よい姿勢」に対する思いこみがあり、結果的に身体に無理をさせる結果になっていたのです。

さきほどの話に戻れば、子どもによい姿勢を求めるお父さんは、自分の理想の姿勢を子どもに強要しているだけで、ありのままの子どもを見ていない、ということになります。

ひるがえって考えてみるのは、発達障害グレーゾーンの息子・天のことです。

天が勉強しないことはすでに何度も触れていますが、わたしが天が「勉強しない」と判断を下している、その基準はなんでしょうか。

よくよく考えてみると、それは「わたしの過去の経験」です。

わたしは言われなくても勉強する人間でしたし、課題もきちっとこなすタイプでした。

そしてたぶん、それができない友人を、自分では自覚していないながらも、心のどこかで見下していたのではないでしょうか。

だから、自分の子どもが勉強しないとき、腹が立ってしまう。その心は、「わたしならすぐに取りかかるのに」「わたしならすぐに終わらせるのに」「しかも、全問正解なのに」ではないでしょうか。そして、自分の子どもが、心のどこかで見下していた友人とおなじになっていることが、「許せない」のではないでしょうか。

そう思い当たったとき、すうっと冷静になりました。「子どもをありのままに受け入れる」とはよく言われることだけれど、それはけっこうむずかしいことです。

でも、自分の成功体験というフィルターをはずすのだ、と考えてみれば、意外にハードルが下がります。

自分の成功体験は、もちろん大事にすればよいと思います。けれども、それは、人を判断するためのものではない。

そしてこの考え方は、子育てだけではなく、すべての人間関係に当てはまると思います。これは、天がわたしに教えてくれたことです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。