天が小学生のころ、スクールカウンセラーの方のお話を聞く機会がありました。
その方がおっしゃるには、「子どもの行動には、たとえそれが問題行動だとしても、かならず理由がある」そうです。
その理由に気づいてやり、解消してやること。めんどうで時間がかかりますが、それをひとつひとつ、やっていってください。その積み重ねが、子どもの成長につながっていくのです。
実はそのときは、言葉の意味がよく理解できませんでした。泣きわめいている天のどこに、理由があるのだろうか。わがままとどこがちがうのだろうか。
しかし最近、「ん?」と思うできごとがありました。
先日の、スマホ事件のときのことです。
くわしくはこちらをご覧ください。
「部活の連絡が来ているかもしれないから、確認しないといけない」
と、言い張り、スマホを返せと天は発作を起こしたわけですが、部活は前日もあったし、今からもあるのです。大事な連絡があれば前日にされていたはずですし、特に大きな公演前でもありませんから、急ぎの連絡があるとも思えません。
それなのに、なんで…
と、天の泣き叫ぶ顔を見ていて、いろいろ考えました。
ここまでしつこく言い募るのはなぜだろうか。なぜ、こんなに必死なのだろうか。連絡が見られないことが、それほどたいへんなことなのだろうか。
そのとき、ふっとあることが思い浮かびました。
もしかして…
そこで、こう言ってみました。
「あなたが今スマホを使えない事情があって、連絡を見られていないとしても、だれもあなたを責めたりしないよ」
「連絡を見てなくてごめん、と言えば、みんな、ああそうだったの、こんな連絡があったんだけどねと、教えてくれるよ」
「みんなを信じてみたら」
すると、天は、びっくりしたように、目を見開きました。そうして、ぴたりと泣きやんだのです。黙ってかばんを出してきて、用意を始めました。
自分ががかけた言葉でありながら、その言葉がたちまち天を動かしたことに、わたし自身がびっくりしました。
天は、まわりの人が自分を受け入れてくれているかどうか、不安でたまらないのかもしれません。完璧でなければ受け入れてもらえないと、思いこんでいるのかもしれません。だから、いつも緊張している。
もしそれが、天のものごとのとらえ方の核としてあるのなら、親として、それに向き合わねばならない。
天の不安を解消してやれることはなんだろう。何か手助けになれることを、してやれないだろうか。
赤ちゃんならば、抱きしめてやればいいところですが、天は中学生ですから、そういうわけにはいきません。
そこで、今週の作戦
そういうわけで、作戦を立てました。今週一週間、ことあるごとに、「天くん、大好きだよ」と言ってみることにしたのです。
ポイントは、「大好き」というフレーズを、とにかく言葉にして天に伝える、ということです。
つまり、笑顔で言ってもいいし、そうでなくてもいい。腹が立っているときは、顔を見なくてもかまいません。ぶっきらぼうでもかまいません。責めたり、怒ったりする代わりに、ただ「大好きだよ」と言うのです。
朝起きてきたら、「おはよう、大好き」。
学校に行くときも、「いってらっしゃい、大好き」
おやつのヨーグルトのカップを片付けてほしいとき、「片付けてね、大好き」
寝ころんでテレビを観ていたら、「テレビを観ているんだね、大好き」
とにかく、ことあるごとに、ほかの言葉の代わりに「大好き」。
最初、天はへんな顔をしました。
「なんか気持ち悪い」
中学生の男子とすれば、もちろんそうでしょう。
わたしが天であっても、気持ちが悪いと思うはずです。なんか裏がありそうだ、と勘ぐりもするでしょう。
天に何を言われても、ここは「そう?」と、受け流します。とにかく気にせず、「大好き」フレーズをシャワーのように浴びせまくります。
なぜなら、一日目で、天の行動に、確かに変化が表れたからです。
まず、顔が変わりました。どこか力の抜けた顔になっています。そして、声も小さくなりました。いちいち、大声をぶつけてきません。
そして、行動も変わりました。
夜早く寝ない、というところは変わりませんが、ピアノの練習はさっさと終わらせています。約束を守らず、スマホは今も使えていませんが、文句を言いません。話しかけてくるときは、そっと声をかけてきます。
ストレスはすごくたまる
でもこの作戦は、非常にめんどうで、正直、かなりストレスがたまります。どんな局面でも、感情をぐっとこらえて気持ちを切り替え、裏腹な「大好き」という言葉をしぼり出さなければなりません。やはり自分の精神には、かなり無理がかかっているように思います。
ただ、逆に言えば、この作戦でストレスがたまるということは、わたしは怒ることでストレスを発散していた、とも言えるわけです。人として正常でなかったのは、母親であるわたしのほうだった、という可能性さえあります。
しかし、いくらストレスがたまっても、ここは長い目で見ていく必要があります。
長い目で見たとき、意味がよくわからないが「大好き」と言われ続けている場合と、「それではだめだよ!」と怒られ続けている場合。
成長の結果の違いは、歴然としているのではないでしょうか。
そういうわけで、この作戦は一週間限定でなくて、ずっと続けることになるでしょう。
理由は、たったひとつです。それは、子どもがいきいきと成長して、心身ともに自立できなければ、親の真の幸福はあり得ない、と思うからです。
子どもと生涯にわたってよい関係でいられることは、親として、いちばんの幸福といえるのではないでしょうか。それができなければ、晩年、大きな心残りになってしまいます。
実際、大人になってから親とうまくやっていけなくなったケースを、親戚や友人など今までいくつか見てきました。せっかく時間と手間とお金をかけて育てても、話すらできない、顔さえ合わせない、そうなってしまった親子の、なんと悲しいことか。
子どもが大人になってからでは、関係の修復がとてもむずかしいのだな、と思います。だからこそ子どもが大人になるまでに、親は自分自身の心を見つめて、どの行動が子どもの成長に有益かを、考え続けていくことが必要だと思います。今の少しの差が、将来、大きな差となって返ってくるのです。
さて、今日もぐっとこらえて。
天、大好き!
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。