昔から心理学が好きで、細々と勉強を続けてきました。
ここ何年かは、「アドラー心理学」を集中的に勉強しています。岸見一郎さん著「嫌われる勇気」がベストセラーになるなど、アドラーは今もっとも注目度が高い心理学者ですね。
アドラーは、子育てや教育について、多くの言葉を残しています。
今回はその「アドラー心理学」の視点から、わたしなりに「子育て問題」について考えたいと思います。
たとえば、子どもが勉強しないとき。
わたしたちが超気になるこの問題を、アドラー心理学ではどうとらえ、どう扱うのでしょうか。アドラーの理論を超意訳して、シンプルな3ステップにまとめてみました。
「勉強しない」ことの「目的」を考える
子どもが勉強しないとき、わたしたちは、「なんで勉強しないのだろう?」と考えがちです。子どもが勉強しないからには、それなりの理由があるはずだ、と思うのです。
しかし、アドラーは、行動の「原因」ではなく、「目的」に注目します。
勉強しない子どもを見たとき、親はどういう行動をとるでしょう?
「なんで勉強しないの?」と問いつめたり、「勉強しなさい!」と怒ったり、「〇〇くんはあんなに勉強しているよ」とだれかと比べたり、していないでしょうか?
子どもは、「勉強しないという行動」が親からなんらかの反応、つまり、問いつめたり怒ったり比較したり、を引き出したとわかると、注目されるために、ますますその行動を続けてしまいます。つまり、親の注意をひくという「目的」のために、子どもは勉強しないという行動をとっているのです。これが「目的論」です。
これに対して、子どもが勉強しない理由を考える「原因論」では、親はなぜ勉強しないか、その原因を考え続けて、「幼児のときに遊ばせすぎたのだろうか」「絵本の読み聞かせが足りなかったのだろうか」「もっと厳しい塾に通わせたほうがよかったのだろうか」などと、取り返しのつかない過去の問題に対してくよくよしてしまいます。原因は常に過去にありますから、過去にとらわれて、前へ進むことがむずかしくなるのです。
しかし、「目的論」で、「子どもは注目されるために勉強をしない」のだと考えると、親のとるべき「未来の行動」ははっきりとしてきます。「勉強しないこと」に注目しない、という行動です。
ですから、親は「なんで勉強しないの?」と問いつめてはいけません。「勉強しなさい!」と怒ってもいけません。「〇〇くんはあんなに勉強しているよ」と、だれかと比較してもいけません。子どもとの関係が悪くなるうえに、子どもが、「どうせ自分には能力がない」と思いこんでしまうからです。
親は冷静に、勉強しないことに注目しないのです。
アドラー心理学では、よくない行動に注目しなければ、その行動は徐々に減っていく、と考えます。
「勉強しない」ことを「課題の分離」で考える
さて、「注目しない」ことをクリアしたら、「勉強」とはだれの課題か、を考えます。これを、アドラー心理学では「課題の分離」と呼んでいます。
そもそも「勉強」は、子ども本人の課題です。「勉強するかしないか」は本人が選ぶことで、「勉強しなさい」と親が口出しすることはできません。
もし、親が「勉強しない子ども」が心配で心配でたまらないのであれば、それは親の問題かもしれません。「子どもが勉強しない」ことが、なぜあなたを不安にしているのでしょうか?もしかして、「だめな親と思われたくない」という、見栄ではないでしょうか?大丈夫。だれも、そんなことを思っていません。
そして、その課題に対する行動の結果を、本人が引き受ける必要があります。
勉強しなかった場合、成績が下がるかもしれません。志望校に受からないかもしれません。その結果を、本人が体験するのです。
しかし、課題を完全に分離してしまって、「それはあなたの問題だからね。知らないよ」と切り捨ててしまっては、家族でありながら、まったくあたたかみのない関係になってしまいます。親は、必要以上の介入はしないけれど、いつでも手助けできる準備はある、という、ほどよい距離感で見守ることが必要です。
「勉強しない」子どもを「勇気づけ」る
「課題の分離」を行うのは、本人がその課題を克服するためです。そのためには、子どもに、「自分はその課題を克服できる能力がある」という自信を持たせることが必要です。それが、「勇気づけ」です。
たとえば、子どもが少しでも勉強をしたら、それは「適切な行動をとっている」ということですから、親は行動に注目して、冷静に自分の気持ちを伝えます。
「勉強すれば可能性が広がるよ」「勉強しているあなたはかっこいいね」「あなたが勉強している姿を見るのが好きだな」
と、言葉で気持ちだけを伝えるのです。
このとき大切なのは、「ほめない」ことです。
「ほめる」のは、能力のある者が能力のない者にすることです。ほめられても、子どもは「自分に能力がある」とは思いにくいのです。逆に、ほめられなければ適切な行動をとらない、という結果になっていまいます。
つまり、よい行動があれば、「ほめずに」「自分がその行動を見てどう思ったか」を伝えるのです。これが、アドラーのいう「勇気づけ」です。
「なんで勉強しないの?」などと問いつめても、子どもから答えが返ってくることはありません。「勉強しなさい!」と叱っても、反感を招くだけです。ましてや「〇〇くんはあんなに勉強しているよ」とここにいないだれかと比べられても、やる気を失うだけです。
どんなときも、理想の子どもではなく、まず目の前の子どもを見て、よい行動に注目します。そうすれば、子どもはだんだんと素直な気持ちを表出するようになり、よい行動を選択するようになります。
子どもの「信じ方」が大事
「子どもが勉強するようになるまで」をアドラー心理学で考えると、以上のようになります。
しかし、これらを踏まえて、わたしが強調したいのは、上記のようにはうまくはいかない、ということです。
アドラー心理学を用いると、「親の気の持ち方」という点では、ずいぶんらくになる面があると思います。けれども、子どもの行動がすぐに改善するとは考えないほうがよいと思います。子どものほうも、何年もかけてその行動様式を築いてきたからで、「人はライフスタイルを容易には変えない」とアドラーも言っているほどです。
そして、「あ~、子どもの行動って、なかなか改善されないな」と落ちこんだときにこそ、アドラー心理学を再登場させたいのです。
つまり、「子どもを信頼する」ということです。
実際、子どもを信頼することには、勇気が必要です。
もし、目の前にいる子どもが、きちんとあいさつができ、決まった時間に起き、片づけがさっとでき、いつも清潔で、夜はさっさと寝る子であれば、信じることは簡単だと思います。
けれども、そんな子どもばかりではありません。
たとえば発達障害グレーゾーンで、約束は守らず、片づけはせず、テレビが大好きで、夜はいつ寝るかわからない子どもであったとき、どこをどう信じればよいのでしょうか。
アドラーは、こう言っています。
「そういう子はね、そりゃあいろいろありますよ。けれども、その子自身の無理のない成長を、きちんとするのですよ」
「この子は今、どうしようもない子だ。でも、いつかはいい子になるはずだ」とか、「この子は今、勉強しない。しかし、いつかすごく勉強するようになって、成績がぐーんと上がる」とか、親の期待を含んだ信じ方をすると、子どもを信じるのがつらくなるのは当然のことです。理想の子どもを思い描いて、目の前の子どもを見ると、至らないことだらけなのはしかたがありません。
たとえ約束を守らず、片づけをせず、テレビが大好きで、夜はいつ寝るかわからない子どもであったとしても、その子にとって必要な成長を、必要なときにする。
それを信じる、ということです。
その子の「確かな存在」が信じられれば、過剰に期待をすることも、過剰に心配することもなくなります。未来のことは、だれにもわかりません。自分自身をふり返ってみても、必要なときに必要な人やできごとに出会い、そのたびに成長をくり返して、なんとかここまで生きてきました。
わが子がそうではないと、だれが決めたのだろう?
ひょっとして、わたしなのでは?
くわしくはこちらをご覧ください→子育てのいちばんの敵は自分
そう考えると、少し安心できます。アドラーさんのおかげで、天のことを、やさしく見守ることができそうな気がします。
この記事が、少しでもあなたのお役に立てれば幸いです。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。