子どもに「勉強がわからない」と言われたら。
どきっとしますよね。
この子は大丈夫だろうか。この先ついていけるのだろうか。もう100点の答案を見ることはないのだろうか…などとブラックな妄想がふくらんでいきます。
しかし、ひとつ断言できることがあります。
子どもが「勉強がわからない」と言うとき、それは「理解できない」という意味でないケースが大半だ、ということです。
もちろんわたしも、塾を始めたころは、「わからない」と言われると全部自分の責任のような気がして、あたふたと教えに走っていました。
でも今は、子どもが「わからない」と言ってきたら、まずは「そうか、わからないんだね」と受けとめて、しばらく様子を見ることにしています。子どもは語彙が少ないのでとりあえず「わからない」と言っているだけで、本当は以下の3つであることがほとんどです。
①読んでいない
問題をまったく読んでおらず、「直感」だけで解いてしまおうとしています。
問題を読まないのには、文章を読むのが苦手とか文字そのものがきらいとかめんどくさいとか、いろいろ個別の理由はあるようですが、大半は問題がやさしいか難しいかを「見た目」で判断して、「自分にはわからない」と決めてかかっています。
「読んだ」と言い張る子もいますが、字面を追っただけで、頭には入っていません。
一文一文を整理しながら読めばわかるはずの問題であっても、子どもはそうは考えません。今までの失敗から子どもなりに学んでいるのでしょう。ぱっと見難しいのだから、内容ももちろん難しいに決まっていると思い、関わるのを避けています。下手に関わって、できなかったり間違ったりして、傷つきたくないのです。
そういうときは、表情をいっさい出さず問題をいっしょに読んでやります。「わかるはずだ」とか「本当は簡単なのに」とか「やれやれ」とか、子どもにこちらの本心を読み取らせてはいけません。問題を読んでいないことだけが「問題」なのですから、「あー、むずかしいよね、ちょっと読んでみようか」と、淡々と読みます。すると途中で「わかった!」と喜んで続きをやり始めます。今までの失敗体験を払拭できるまで、これをねばり強く何度もやる必要があります。
②考えていない
問題を読んだけれども、考えていない。そして、本人は考えていないことに気づいていない。そういう状態です。
考えるとは、小さな手がかりを次から次へと展開させて大きくふくらませていく頭の中の活動を言います。頭の中が動いていなければ、もちろんそれは「考えている」とはいいません。けれども本人にすれば、頭に力は入れているので立派に考えていると思っているわけです。
からだの活動と違って、頭の活動は目には見えませんから、「活動しているかどうか」自分では判断しにくいのです。
現代では、考える機会が減っていると常々感じています。今はスマホで、なんでもすぐに調べて答えに行き着くことができます。保護者とも連絡がすぐに取れるので、何か困ったことが起きても、どうすればよいかをすぐに聞くことができます。考えたり迷ったりして、自分なりの道すじを見つけるという試行錯誤の機会がなくなっているのです。
子どもが考えていなくてわからないというとき、それは「答えがわからない」のではなくて、「通るべき道すじを通っていないからわからない」ということに気づかせてやる必要があります。「この問題は難しいから答えにはすぐにたどり着けないよ」とまずは安心させてから、答えに行き着くための道すじを短く区切って、到達すべき地点を順に示してやります。算数なら、注目すべき数字に線を引く。国語なら、何を聞かれているか整理する。それがわかれば、さらに次の地点を示す。そして次の地点、次の地点。道すじを短く設定することで、次へ次へと考えを転がしていく。いわゆる「スモールステップ」ですね。
すると、考えるということは実は頭に力を入れることではなくて、逆に力を抜いて流れに乗っていくことだとわかるようになります。もちろん、時間はかかります。ねばり強くやる必要があります。
何度もやるうちに、その子なりの「考える型」ができる瞬間があります。こうなればしめたものです。「考えてみよう」と言ったとき、「どのポイントを通るか」と自分で考え始めます。
③知らない
時代が大きく変わり、大人はふつうに知っているけど、今の子どもは知らない、というものが増えてきています。
たとえば「1ダース」。えんぴつを箱買いすることもなくなりつつあるのでしょうか。1ダースがどういう単位なのか知らない子どもが多いです。「1ダース」を知らなければ、「1ダース」が出てくる問題を解くことはできません。
「わからない」と子どもが固まっているとき、その問題の中に、何か知らない言葉やできごとがないかをよく見る必要があります。意味さえわかれば、するする解けることも多いのです。
こういうとき、「こんなことも知らないなんて…」と嘆くのはもってのほかです。
知らないのなら、根気強く教えていくしかありません。たぶんわたしたちも子どものころ知らないことがたくさんあって、周りの大人にびっくりされつつ、ひとつずつ教えてもらってきたのです。大人であるなら、子どもが知らないと言ってきたことに対して、ばかにせずに教えてやることは務めだと思います。
悲観する必要はない
そういうわけで、子どもが「わからない」と言ってきたとき、親はつい現在だけでなく将来のことまで悲観しがちですが、その必要はありません。
じーっと観察して、①②③のどれかを、冷静に考えてみてください。そして、自分のとるべき行動を考えてください。
ただ、どれにも当てはまらないときがあります。
とにかく「わからない、わからない」とうるさいとき。そういうときは、「やる気がない」のです。放っておきましょう。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。