集中力はどこへ消えた?

集中力

期末テストが近づいてきました。

天にひとつ、聞いてみたいことがあります。

あなたの集中力はどこにいったの?

集中力とは、一定時間、ひとつの事柄に気持ちや注意を集中させる能力のことです。集中力は、体力や気力とも関係しますから、年齢が上がるごとに高まっていくと考えられています。つまり学年が上がると、勉強でも運動でも求められるスキルのレベルも上がりますが、そのぶん高まった集中力で、じっくり時間をかけて取り組むことができるようになる、はずです。

しかししかし。

今の天は、集中力がまったくない、といってもよい状態です。ちっとも落ち着いて勉強していません。

なかなか勉強を始めず、ようやく始めたと思ったら。

すぐに席を立ち、お茶を飲み出したり、トイレに行ったりします。座っていたとしても、ちょっと伸びた爪や、肌のかゆみや、シャーペンの芯の状態などが気になるようです。教科書は開いていますが、目もくれず、「気になる数々のこと」の解決にいそしんでいます。ただぼんやりしているだけ、というときもあります。

ときどき、スマホに手を伸ばしてしまいます。何か調べたいことがあるのかもしれません。LINEの連絡が来たのかもしれません。しかし、いつまでたっても、スマホを手放す気配がありません。

 

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…1時間経ちました。

けれども、天は「勉強をやった気分」まんまんです。一時間も、机の前に座っていたからです。

これが天の現状です。

…なんで?

というのが、わたしの正直な気持ちです。天は、こんな子ではなかった。以前はもっと、集中力があったと思うからです。

以前はあったのに今はない。つまり、集中力が消えた?

もともと天の集中力は若干弱いところがある、とは思っていましたが、成長とともに変わっていくだろうう、集中力とは、そういう性質のものなのだから…と、「そのとき」が来るのを楽観的に待っていました。

しかし、はっと気づいたときには、その期待が裏切られていただけでなく、あったはずの集中力までかき消えているとは…

いったい天に、何が起こっているのだろう。

天をよく観察してみると、集中力がないわけではけっしてありません。自分の好きなYouTubeの動画などを見ているときは、わたしの声が聞こえないほど集中しているからです。

つまり、「したいことをしている」ときはものすごく集中できて、「しなくてはならないことをする」ときはまったく集中できない、のです。

これは、しごくふつうのことです。だれしも、そうではないでしょうか。

けれども大事なことは、「したいことをしている」ときはもちろん、「しなくてはならないことがあるとき」も、なんとかして集中力を発揮する、ことだと思います。人生とは、そういうものだから、です。

 

「集中力を高める方法」を実践できない

実践できない

では、とにかく「しなくてはならないことをする」ときに、なんとかして集中力を発揮するにはどうすればよいか。

これには、だれでも思いつく、まっとうな方法がいくつもあると思います。

たとえば、集中できるように環境を整える。

スマホを遠ざける、というのもひとつの手です。とても簡単な方法です。スマホを手の届かないところ、見えないところに置けばいいだけなのですから。

けれども、天にはそれができません。

「スマホを遠ざければよいだけ」という、まっとうで簡単な方法を、天は決意して実行することができないのです。つまり、この方法が有効なのは、「スマホを遠ざける」ことを決意して実行できる人だけなのです。

「塾の自習室を利用する」などもそうです。マンガやテレビがなくて、人目のある自習室なら絶対集中できそうだ、やってみよう、と前へ一歩踏み出すことが、天にできるでしょうか。

答えは否、です。

ここでわたしが問題にしたいのは、「スマホを遠ざけ」たり「自習室を利用し」たりすることができる、強い気持ちを持ったお子さんのことではありません。「スマホを遠ざける」という決意&実行ができない、心の弱い弱い天のことです。もしかして、あなたのお子さんも、そうではないでしょうか?その、強い気持ちを持てないせいで、困っておられるのではないでしょうか?

決意&実行の人は、「自分には集中力がない」ことに気づき、「どうしたら集中力が高まるだろうか」とあれこれ考えをめぐらせ、「そうだ!スマホを遠ざけてみたらどうか」と仮説を立てることができた人です。

いうなれば、「自分を客観視」できる人たちです。

しかし、天を見ていて感じるのは、「自分を客観視なんて、とうていできない」ということです。つまり、自分に集中力がないことに思いをめぐらせたこともなければ、だから集中力を高めてみたらどうだろう、などとは夢にも考えたことがない、ということです。

天が生まれて以来、わたしがずっと不安に思っていたのは、このことです。自分を含めたものごとを客観的にとらえ、建設的に考えることができない。自分を管理できないという根本的な問題です。それが、発達障害グレーゾーン、ということなのかもしれません。

人間が前へ進んでいくためには、自分自身を客観的にふり返ることはすごく大切だと思います。うまくいったとき、なぜうまくいったのだろう、と考える。また、うまくいかなかったときも、なぜうまくいかなかったのだろう、と考える。ちょっとずつ修正を重ねることで、人生はよりよく変わっていくのではないでしょうか。

 

ちがう面から「集中力」を考えてみる

ちがう面

集中力集中力集中力…とおまじないように唱えていて、ふと、浮かんだ考えがあります。

「集中している」状態というのは、いわば「我を忘れている」状態ではないでしょうか。今目の前にあるものだけに意識が向かっていますから、自分のことは二の次になっているわけです。

「我を忘れる」ためには、「安心感」があることが大前提です。安心感がなければ、自分を忘れることなどできません。なぜなら、自分を忘れている間に何か恐ろしいことが起こるかもしれない、という、根本的な不安があるからです。

天は、安心からはいちばん遠いところにいます。

いつも、ひどく緊張し、びくびく、おどおどしている。

そんな天が安心して我を忘れ、迷わず前に進んでいける、光になるものはなんだろう。

そう考えたとき、わたしには、たったひとつしか答えが思い浮かびません。

それは、「親の言葉」です。

親が子どもにかける言葉で、安心感を与え、指針を与える。

わたしは天に、毎日のあらゆる場面で「大好き」と声をかけることにしていますが、それ以外に、心を決めて、天に言葉のシャワーを浴びせることにしました。

くわしくはこちらをご覧ください→子どもの行動の原因を探す

常に適切な声かけをするのは精神的にも体力的にも負担なので、いくつかパターンを決めて、機械的にくり返すことにしています。

朝起きてきたとには、「おはよう」と声をかけ、

「自分で時間どおりに起きられたね」

「きちんと準備できているね」

ピアノの練習をしているときは

「いい音が出てきたね。もっと聞きたい」

勉強をしているときは

「努力しているんだね」

「きっと努力の成果が出るよ」

パターンとしては、これくらいです。まさか中学生への声かけ?と思われるレベルかもしれませんが、ここから始めるしかありません。思いきりハードルを下げ、毎日の当たり前のことを大絶賛することにしたのです。

また、つい使ってしまいがちな言い方に、「今起きなければ、スマホは使えないよ」とか、「何時までに宿題を終わらせなければ、おやつが食べられないよ」とか、条件をつけて奮起を促す、というものがありますが、天にはまったく逆効果らしい、ということがわかってきました。

結果的にふてくされてしまうのです。「がんばって何かをやり遂げるつもりはない、そんなことなら、最初からやらないほうがよい」とでも考えているように見えます。その考え方はどうなの?とは思いますが、ここでそこを突いてもどうにもなりません。言わないようにするしかありません。

そして、ときどき、将来のことを語ります。

「コロナが落ち着いたら、ディズニーランドに行きたいね。そうしたら、何がしたい?」

「ピアノでこんな曲を弾いているのが見られたら、うれしいな」

とにかくプラスになる言葉を、光になる言葉を、次々に浴びせていきます。

突然そんなことを言い出した母親を、天はどんな目で見るのだろう。と思っていましたが、天は大まじめに聞いています。恥ずかしがることもなく、無視することもなく、聞いています。

そうであれば、語り続けるしかありません。

いつも、がんばっているね。

長い時間、集中できるようになったね。

天は、自分で考えて動ける人間だと思うよ。

天はきっと、社会に役立つ人間になるよ。

きっと、だれかに喜びを与えられる人間になれるね。

だって、あなたは、大切な、わたしの子どもだから。

ときどき、ばかばかしくなるときがあります。こんな当たり前の言葉に、天の人生を変える力があるだろうか。けっしてうそではないけれども真実とも思えない言葉を天に向かって言うことに、本当に意味があるのだろうか…

けれども、すぐに思い直します。やったとたんに成果が見えるものなんて、子育てにはありません。子どもはすぐに大きくなります。大きくなってからでは遅いのです。今でなくていつ、子どもに思いを語るのだろう。

天の心の中が、安心感でふくらんだとき、何かが起こる、とわたしは信じています。爆発的な集中力か、超人的な自己管理能力か、はたまた、想像しえない何かが、天を包んでいるはずだ…そう夢想する瞬間が、ちょっと楽しいです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。