「子どもを怒る」ことについては何度も記事にしてきましたが、また取り上げることとします。
なぜなら、子どもを怒ることの悪影響について、まざまざと感じる出来事が周りで次々に起こるからです。それだけ、子どもは理不尽に怒られているということです。
子どもを怒ってもどうにもなりません。
もちろん、子どもとの毎日には待ったなしの出来事が次々とやってきて、それにいちいち対処していかなければなりませんから、ついかあっとなって大きな声が出てしまうのは仕方がありません。きょうだいがいればなおさらです。
けれども、怒るくらいなら、(危険がない場合には)知らん顔をして放っておいたほうがましです。子どもにとって、親に怒られるのは、何よりもつらいことなのです。
怒られ続けた結果、お子さんはこうなります。
声が大きくなる
わたしは声が小さいです。経営している塾では基本的にはいつも、小さい声で話します。そして、小さい声どうしで話して、笑顔で話がさっと終わる子どもがいます。
親に怒られていない子どもです。
反対に、いつも大声の子どもがいます。地声が大きいかどうかは関係がありません。場にそぐわない大声を出します。たいてい、親が怒りがちのご家庭のお子さんです。
これにはいくつか原因が考えられます。
ひとつは、親のまねをしている。親がいつも大声で怒っていて、その場に応じた声の大きさで穏やかに話すという習慣がない。とにかく自分の意見を聞いてもらいたい、通したいと思っているので、ついつい大声になるのです。
もうひとつは、威嚇です。必要以上に自分を大きく見せる必要を感じているので、小声でなんか話していられません。大声を出して、こちらを試しています。何か答えると、さらに声を大きくして反論してきます。反論といっても中身のある反論ではなくて、こちらが言うことに対して「いやだ」「ちがう」など反射的に反応しているだけです。やりとりのなかで話がおさまる方向に進むことはけっしてありません。
いつも親に一方的に怒られていて、反論できずに悔しい思いを内にため込んでいるので、意見を調整して話を折り合わせるなんて考えも及ばないのです。
子どものしゃべり方を見れば、その子が怒られている子かどうか、すぐにわかります。
うそをつく
さらに悪いことには、都合の悪いときには「うそをつく」ようになります。非を認めると怒られると信じているので、その場を逃れるためにうそをつくのです。
塾ではいつも宿題を出しています。忘れたときに、「やろうと思ったらなかった」「おばちゃんの家でやろうと思ったらなかった」などと言ってきます。うそだとすぐにわかります。目を合わせない、または目がきょときょとと落ち着きなくなっているからです。「はい」と受け止めて、「次に忘れないように、おかあさんには連絡するね」と伝えると、「おかあさんは、今日は遅いと言ってた」「今日は忙しいから電話に出られないかも」などとさらにうそを重ねてきます。
忘れたことを素直に認めて「次に持ってきます」と言えば、話は一分で終わるところを、うそを塗り固めるために、延々しゃべり続けます。
だから、怒ったって、どうにもならない
怒れば行動があらたまるのではないかと思って、親は怒るわけですが、あらたまるどころか、悪いほうへ悪いほうへと流れていくことになります。
本当に、怒っても、むだなのです。
怒るということは結局、親の感情の爆発でしかありません。
子どもはこれ以上親を刺激するまいと考えてしかたなく言うことを聞くふりをしますが、心の底では納得していません。ですから、行動をあらためることはありません。
何よりも問題なのは、怒ることがデフォルトの空気感となって家庭を支配したとき、正常なコミュニケーションがそこになくなってしまうことです。怒ったり笑ったり泣いたりを日々くり返して、子どもは人と人との距離感やつきあい方を学んでいきます。けれども、親が怒りでこり固まってそれ以外の感情を素直に表に出せない、もちろん子どもはもっと出すことができない、いつも緊張で張りつめた家庭になれば、子どもの心はのびのびと成長することができません。一生にわたる大きな傷を残すことになります。
怒りそうになったら、1分間がまんする。そして感情がおさまったときに、子どもに「何がいけないのか」「どうしたらいいのか」穏やかに話す。友だちに話すように、です。
万が一怒ってしまったら、気持ちが落ち着いてから、「ごめんね。怒ってしまった」と謝るのがいちばんです。子どもはかならず許してくれるし、そうすることで、子どもは親の愛情を感じることができます。そして、怒りにまかせて感情を爆発させるのはいけないことなのだ、と学びます。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。