みなさんは柔軟剤をお使いでしょうか。
わたしは使っていません。
いくつか理由がありますが、いちばんの理由は、「必要を感じない」からです。
衣類やタオルやその他、洗濯物は毎日、南側のベランダで干しています。太陽の光が全面に降り注ぎますから、そのにおいをいっぱい吸って、ふっくら乾きます。
干しすぎてぱりぱりになってしまうときもありますが、それはその日の太陽の強さやわたしの都合やその他いろいろが重なり合った結果であって、二度と体験できない「本日の洗濯物」として楽しみたいなと思っています。
しかしながら先日、家族4人そろった場で、「なんでうちは柔軟剤を入れないの?」と、天兄(大学院生)に詰問されるはめになりました。ほかの男性ふたり(夫と天)も、見た目、ほのかに同意しています。
え?なんでわざわざ柔軟剤を?しかも男性陣そろっての要求?
思いがけない方向から思いがけない球が飛んできて、わたしは「鳩が豆鉄砲を食ったよう」になりました。
天兄が言うには。
においというのは記憶に残る。
天兄は小学生のころサッカーをしていたのですが、そのとき、練習着からとてもいいにおいがしていた友だちがいたそうです。
そのにおいは友だちのにおいとして記憶され、その子を思い出すとき、においもいっしょになつかしく思い出すそうです。
だから、いいにおいがすることは大切。
ひるがえって、うちの洗濯物は、いいにおいがしない。それはとても淋しいことである。
だから、柔軟剤を使ってほしい。
なるほど、わかりました。
しかしね、おかあさんの考えも聞いておくれ。
香りがあまりにも人工的
ベランダに羽衣ジャスミンを植えており、春先にはいつも、よい香りの花をたくさん咲かせます。夫に「いいにおいがするよ」と教えたところ、夫はにおいをかいで「トイレのにおい」と言い放ち、がっかりしたことがあります。
確かにジャスミンはトイレの芳香剤などに使われていますが、本物のジャスミンの香りは、芳香剤のそれとはちょっと違います。注意していなければ、気づくこともできない。風向きによっても、におったり、におわなかったりする。通り過ぎたときに、あれ?今のは?と気づくくらい、淡く、はかない。本物の香りとは、そういうものです。
これに対して、柔軟剤の香りは、主張がかなり激しいです。
360度、どこからでもにおう。近くからでも遠くからでも、均一なにおいがする。においのもとがなくなっても、においが残っている。
このにおいが、わたしは苦手です。
さきほどのサッカーの話でいえば、当時、練習で使うビブスを家庭で順番に、まとめて洗濯するルールになっていました。ときどき、柔軟剤がひどくにおうビブスに当たることがありました。うちでは洗剤だけで洗濯しますが、洗濯後も、そのにおいはとれません。柔軟剤というものは、繊維の奥までしみこむのだな、とそのとき思いました。
同時に思ったのは、素肌に着るスポーツ着が、そんなに強い香りを放っていていいのだろうか、ということです。柔軟剤で繊維をコーティングして、果たして汗を吸うのだろうか。しかもサッカーは接触プレーなのに、プレーのじゃまにならないのだろうか。
仕事でたくさんの子どもに会いますが、その何人かは、かなり強い柔軟剤の香りがします。それが汗やほこりと混ざりあい、しかし、柔軟剤は「負けないぞ」とばかりに、さらに強くにおっていることがあります。においが気になって、質問に集中できないこともあるほどです。
しかも、あくまでhare統計ではありますが、柔軟剤の香りがひどくする子は、たいてい、勉強ができません。まさか柔軟剤の香りで集中力がなくなっているわけではないと思いますが、この相関関係はなんだろう・・・
肌によくない(と思う)
次男の天がアトピー持ちですので、常に肌に刺激を与えないことを最優先に考えています。
家で使う洗剤類はできるだけ、自然に近いものを使うように心がけています。食器洗いやそうじは重曹を使った電解洗浄水ですませますし、入浴剤はびわの葉と麦飯石を使っています。洗濯洗剤はいろいろ試したのち、合成洗剤を使っていますが、それもある水を使って薄めています。
柔軟剤の液体を見ると、怖いくらい濃いです。まるで洗剤です。あれをすすぎの際に入れて、繊維の表面に吸着させるわけですから、柔軟剤が肌に直接触れることになります。
これは肌にとって、よいことなのでしょうか?
わたしはよくないと思っています。
いただきものの柔軟剤を使ってみたことがあります。洗濯物を干すとき、指に柔軟剤が残るのか、指先がぬるぬるとやわらかくなるように思いました。衣類に柔軟剤を使うということは、この状態が24時間続くということです。
そういうわけで天兄。
おかあさんは柔軟剤を使わないのだよ。
きみはそれでも、柔軟剤の必要性を主張するのかい?
あきらめたようです。何も言ってきません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。