赤ちゃんのときから「なんかへん…」
息子の天がもしや発達障害なのではないか…ということは、赤ちゃんのころから疑っていました。理由がないのに突然泣きわめきはじめ、何時間も泣きやまないことが幾度もあったのです。おっぱいをあげても抱いてあやしても泣きやまず、疲れきったわたしを見かねて、夫が天を抱き、外へつれ出したことも数知れません。
小学校へ入ってからは、その傾向がさらにひどくなりました。入学後すぐ、遅刻の常習犯に。遠足の前日に、担任の先生から「明日は遅刻しないでください」という電話がかかってきたこともあります。
宿題もぎりぎりまで先延ばし。学校から帰るとテレビを見はじめ、それが終わってもマンガを読んだりごろごろしたりして、ようやく宿題にかかり始めるのは、夜の9時過ぎ。どんなに話をして言い聞かせても、約束をしても、その習慣を変えることはありません。BSカードを抜く、リモコンを隠すなどしてテレビを見られないようにする強硬手段に出たこともありました。すると今度は、泣きわめいて立ち向かってきます。暴力こそふるわないものの、わたしが意見を変えるまで、泣きわめきながら自分の要求を押しつけてくるのです。それは1時間も2時間も、はてなく続きます。疲れきって、距離を置くために外へ出ようとすると、それはいやならしく、ようやく天は「わかった、わかったから行かないで」と追いすがり、なんとかおさまる…ことのくり返しでした。
最近でこそ、そのような発作(とわたしは呼んでいる)は少なくなったものの、もう家庭の努力だけでやっていくのはむずかしいと思い、スクールカウンセラーに助けを求めたのもこのころです。
小学3年生。専門家に相談をはじめる
カウンセラーの方は(初老の男性でした)、「医者ではないので診断はしませんが」と前置きしながら、天が発達障害であることを暗に認めたうえで、ひとつひとつの場面での最適な行動を気長に教えていくしかないとおっしゃいました。行き詰まったら、いつでも相談に来ていいともおっしゃいました。そして、あなたならきっとできると、励ましてくださいました。
そのときは少し気が晴れて、もういちどがんばってみよう、と決意しました。
けれども、天の行動は、いつでもこちらの覚悟を上回ってきます。
自分中心の行動はとどまるところを知らず、わたしがいくら気持ちを落ち着けて話をしようとしても、聞く耳を持ちません。
さらに2年後、今度は心療内科を受診することになります。
でもそこでは、天は発達障害とは診断されませんでした。理由は「本人が困っていないから」
確かに天は困っていません。どんなときもマイペースで自分を貫きます。学校ではよい子ですから、特に問題行動もなく、それなりにうまくやっているようです。困っているのは、日常生活担当の親だけなのです。
困っているから助けてほしいと、予約をして、待ちに待って心療内科につれていったのに、先生から返ってきたのは、「お子さんがわがままを言うたびに、それを許してきたのではないですか」という詰問でした。許してきたといえば、そうかもしれません。けれど、小学校高学年の男子が、泣きわめきながらこちらに向かってくるときの圧力を、先生はご存じなのでしょうか。こちらが折れるまで発作を起こしつづける恐怖を、先生はご存じなのでしょうか。自分の気が進まないことにはがんとして動こうとしない子どもを、なんとか説得してお医者につれていった、その必死さを、先生はどう考えているのでしょうか。
わがままを許さざるを得ない状況に追いこまれて、困りはて、疲れはて、なんとか助けてほしくて相談に来ている親に、「あなたの対応が悪い」と言ってのける先生は、なんなのでしょうか。
そのお医者には、その後行っていません。
もうお医者に行かないと決めていたわたしですが、さらに一年後、また別の診療内科に天をつれていくことになりました。
発達障害のテストを受けるためです。
小学6年生でWISCテストを受ける
きっかけは、授業参観でした。
いつもの授業参観では、天がクラスになじんでちゃんとやれていることを確認して、ほっとして帰ってくるのですが、そのときはちがいました。
運動会で使うはっぴを作るという授業でした。先生の説明を聞いてどんどん手を動かしていくクラスメイトたちのなかで、天は何をするかが理解できていないようすでした。わからなければ先生に聞けばよいと思うのですが、それすら思いつかないようで、きょろきょろと所在なげに首を振っているだけです。
もし集団行動についていけていないのであれば、親として、子どもの最適な環境について考えなくてはなりません。つまり、支援学級などへの編入、などです。
担任の先生に相談したところ、「確かに参観のときはちょっと困っていたようだけれど、ふだんはふつうにやれている」とのことでした。ただ先生の過去の経験で、発達障害のテストを受けることで得意なこと、苦手なことがはっきりし、対応が楽になったという親御さんがおられたので、テストは受けてみるのがおすすめだというお話でした。
受けたテストは、WISC-Ⅳです。
これは知的な力や得意なところ、苦手なところを調べる検査だと説明を受けました。ペーパーテストで、自分で解いていく問題もあれば、先生が読み上げて答えるものもあるとのことでした。
受検時は、カウンセラーの方とはまた別の、テスト担当の先生と一対一です。一時間ほどかかるので、保護者は別室で待ってもよいとのことでしたが、自宅が近いので、一度帰ってまた迎えに来ることにしました。
結果としては、全体的な知的発達は平均より上であるが、得意なことと苦手なことの差があるとのこと。具体的には思考力などは平均上方水準、作業能力が平均下方水準であり、作業の切り替えに時間がかかり、課題を段取りよく処理していきにくいタイプとのことです。
つまりは、能力の凸凹はあるけれも、発達障害と呼ぶことはできない、ということなのでしょう。何回かカウンセリングに伺って、日常生活での改善したほうがよいこと、つまりどうしたら宿題を早く済ませることができるか、などについて天と話し合いの場を持ちました。
けれども、天には改善しようという意思は感じられず、カウンセリングに通うことをいやがってしまい、そのままになっています。
結局のところ、天は家の中でだけありのままの姿を見せる、隠れ発達障害ということになるのでしょう。
ママ友に相談しても、「え?あのやさしい天くんが?」という反応が返ってきます。もしやわたしが見ている天は、わたしの被害妄想なのだろうか?と思うこともしばしばです。
抱え込む問題は山ほどあるのに、周りになかなか理解してもらえない。これはかなりやっかいです。支援も受けられず、大きな孤立感があります。
天のことでいつも悩んでいるので、家庭内の雰囲気も明るいとはいえません。
状況を変えられる何か、を期待するとすれば、天がひとつ、目標を持っている、ということだけではないでしょうか。
いま中学1年生の、天の目標
進学校・あっぱれ高校(仮名)への合格、です。
これだけ聞くと、なんだか唐突に思われるかもしれませんね。天がこの目標を持つようになったのには、理由があります。
兄(天兄)が通っていたからです。
あっぱれ高校を経て、国立大学に進学した天兄。
年がはなれているせいもあって、天兄は天をとてもかわいがっていました。まさに、目に入れても痛くないくらい。だから今でも天は天兄が大好きで、天兄が帰省するたびにくっついてはなれません。
その、尊敬する兄と同じ道を歩みたいという気持ちはよく理解できます。
そしてわたし自身、天にはもしやあっぱれ高校が適しているのではないか、というかすかな期待もあります。天兄が通っていたころ、あっぱれ高校で、「変人」をたくさん目撃しました。しかし変人だからといってつまはじきにされることもなく、彼らなりの興味を思うぞんぶん追求できる、充実した高校生活を送っていたようです。そんな懐の深いあっぱれ高校なら、変わり者の天も周囲から浮くことなく、充実した高校生活を過ごせるのではないかと思うのです。
まあそれも、合格すれば、の話です。
なにせ偏差値が40ですから。
はたして天はあっぱれ高校に合格できるのか?
正直、まったく予測がつきません。
天と晴れママの、長く険しく、もしかしたら無駄に終わるかもしれない道のりを、ありのままに発信していきたいと思います。同じ悩みをお持ちの方にも、参考になる部分があるかもしれません。ご期待ください。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。