あなたのご家庭では、どんなときにテレビがついていますか?
テレビについては、ご家庭それぞれに、いろんな考え方があると思います。
わが家では、天がいるときは、わたしはけっして自分からテレビをつけません。天はテレビが大好きですから、いちどテレビをつけると食いついてしまって、なかなか消すタイミングを見つけられなくなるからです。
もともとわたし自身、テレビをあまり観ません。ニュースと、ドラマ各クール一本くらいです。最近はやりの、芸人たちが集まってわいわいしゃべる番組はうるさくて苦手なので、結果として、テレビを観る時間はどんどん減っています。
反対に、夫はよくテレビを観ます。仕事から帰ってくつろぐときは、必ずテレビをつけて、寝っころがって観ています。
夫の実家では、他界した父親も、どっかりとソファに座り、ずっとテレビを観ていたそうです。もちろん一日中つけっぱなしで、ごはんもテレビを観ながら。話題も、テレビを観ての話が多かったそうです。
わたしの実家では、ごはんのときはテレビはついていませんでした。
昔ながらの間取りで、ごはんを食べるダイニングとリビングが分かれており、ダイニングにテレビがなかった、という事情もありますが、なんとなく、食事中はテレビを消す、という暗黙のルールがあったように思います。
というわけで、テレビをつけたがる夫と、テレビを消したがるわたしとで、意見が合わないことがしょっちゅうあります。
もちろん、テレビを観てリラックスする時間は必要です。世の中の流行や人々の関心を知る、という教養の側面もあると思います。
けれども、テレビをつけると天の動きが止まる、というわが家ならではの事情もあって、できるだけテレビをつけたくないのです。
でも、本当のところ、テレビって、子どもの成長にどんな影響を与えるのだろう?
わたしの中で長年、もやもやした問題でした。
今まで生きてきて、親戚や友人など、たくさんのご家庭を訪ねる機会がありましたが、テレビがついていないご家庭もあれば、つけっぱなしのご家庭もありました。
そして今回、そういったご家庭の特徴と、子どもの成長の様子、これまで読んだ書籍や論文など、さまざまな情報と経験とを自分の中でシャッフルして、「hare統計」が出した独自の見解を述べたいと思います。
子育て中は、テレビを消しましょう。特に、食事の時間は。
食事中のテレビは、子どもの成長に、百害あって一利なし、です。
なぜなら、テレビが一日中ついているご家庭のお子さんは、「考える力が弱い」傾向があるように思うからです。
重要なのは、「会話の質」
食事中は、家族がひとつのテーブルに集まりますから、たいていの場合、会話をすることになると思います。テレビがついていてもいなくても、会話はするでしょう。その「会話」こそが、子どもの成長には重要だと、わたしは考えています。
そこで問題になるのが、「会話の質」です。
もちろん、テレビをきっかけに会話が弾む、ということはあり得ます。けれども、それは、「今の見た?すごかったね~」「そうだね~」という、「感想」の会話です。
しかも、テレビの内容はどんどん切り替わっていきますから、そのたんびに「感想」が述べられ合う、という展開になり、会話が深まることが難しいのです。
もちろん、感想を言い合うことは大切です。
しかし、子どもの成長を考えた場合、会話には、もっと別の、大事なことがふたつある、と思うようになりました。
ひとつめは、「自分の意見を述べる」という面です。
もちろん、「今のすごかったね」「びっくりだね」も、思ったことを述べてはいます。
しかし、それは、「テレビという刺激」に対する反応であって、「自分の頭の中で生まれたこと」を述べているわけではないのです。
「自分の意見を述べる」とは、自分の頭の中で生まれた考えをまとめて、人に伝えることです。たとえば…
わたし「これから、わたしは喜友名諒を拝もうと思う」
天「え?なんで?」
わたし「この写真を見て。この神々しさは、神様にしか見えないでしょう?」
天「神様っていうのは、人間とは違うのでは?」
わたし「確かに。でも、日本ではそうじゃないんだよ。八百万の神といって、いろんなところに神様がいるんだよ」
天「じゃあ、ぼくは仮面ライダーが神だと思う」
わたし「へえ。ずいぶん現代的だね」
天「うん。日本では、すべてのものに神が宿っているからね」
ばかばかしい一例ですが、内容はともかく、自分の頭の中で考えたことを、人に伝える。そして、やりとりをするなかで、新しい考えが生まれ、自分が変わっていく。これは、高度な脳の訓練です。このような会話は、テレビを観ながらではできません。刺激のない静かな場所で、自分から生まれる会話。発展していく会話。これが、重要なのです。
ふたつめは、「想像力を働かせる」ことです。
この世はわからないことだらけです。いくら勉強しても、次々にわからないこと、知らないことが出てきます。
「わからない」「知らない」と言ってしまえばそこで終わりですが、どんなときにも、答えに近づく方法があります。それは、自分の知識や経験から「想像してみる」ことです。
たとえば、「プリンセスケロリン」という名前の王女がいたといます。この王女はいったいどこの国の生まれで、どんな人なのか。
もちろん「プリンセスケロリン」は架空の王女ですから、どんな人物かはだれにもわかりませんし、調べても出てきません。
けれども、「知らない」「わからない」で済ませるのでなく、「プリンセスケロリン」という名前を手がかりに、想像力を働かせてみるのです。
緑色のドレスが好きなのではないか。
水の豊かな国の王女ではないか。
虫が好物なのではないか。
「ケロケロ語」を話すのでないか…
どんなにばかげていてもいいのです。自分の中にある知識と経験から、思いつく限りのことを想像してみる。想像には、その場にいる人数分のバラエティがあります。その意見を交換することで、また新しい考えが生まれてくる。正解にたどり着くかもしれないし、たどり着かないかもしれない。けれども、その過程を楽しむ。
この時間が、脳を発達させるのです。
そして、脳を発達させる会話が成り立つのは、テレビがついていないときだけだ、と断言できます。
テレビは考えをまとめなくても、想像力を働かせなくても、次から次へと新しい情報を流してきます。そこにインプットはあっても、アウトプットはありません。脳にとって大切なのは、アウトプットすることです。アウトプットするときに、脳は汗をかき、一生懸命仕事をするのです。
そして、いつか大人になったとき、自分から話題を提供し、自分はもちろん、人をも楽しませる人間に成長することができたら、それだけで人生は豊かなものになると思いませんか。
子どもに自分で考える人間になってほしいと思うなら、食事の時間、テレビは消してください。それは、親が子どもに授けてやれる、一生役立つよい習慣だと思います。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。