食べものの恨みは怖い

今話題の、兵庫県の斉藤知事に申し上げたいことがひとつだけあります。

食べものの恨みは怖い。

もし斉藤知事が、いただきもののカニを、カキを、ナッツ類を含むすべての食べものを、まわりの部下や部署に分けていたら、事態はここまでひどくならなかったと断言できます。

ずいぶん昔になりますが、大学生のころ、イベント前にサークル仲間で大学に泊まったことがあります。準備が一段落し、みんなで夕ごはんを食べに行きました。

中華の食堂で、わたしはその店の看板メニューである中華風カツ丼をおいしくいただいていました。すると向かいの席でビーフンを食べていたSが、「ビーフン、おいしくない。ひと口交換してくれない?」と、中華風カツ丼に視線を投げかけてきたのです。

わたしは「いいよ」と答え、皿を交換し、ビーフンをひと口食べました。はじめて食べたビーフンでしたが、もそもそとして確かにおいしくなく、中華風カツ丼で口直しをしましょ、とSと再び皿を交換して、わたしの目は点になりました。

中華風カツ丼が、半分以上なくなっていたのです。

わたしはおどろいてSの顔をまじまじと見ました。Sは確かに「ひと口」と言ったのです。ところがなんだ、この減り方は。Sはわたしの視線にも悪びれる様子はなく、ビーフンを食べています。おどろきのあまり言葉をなくしてしまったわたしはそれ以上追及することもできず、ごっそり減ってしまった残りの中華風カツ丼を食べました。

この出来事を、わたしは今でも昨日のことのように覚えています。Sとは今は交流はありませんが、Sを思い出すたび、あの半分以下に減った中華風カツ丼のありさまが脳内で同時再生され、苦々しい気分になります。

Sにはいいところもあったはずです。楽しい思い出もあったはずです。けれども、Sが実際どういう人物だったかの記憶はことごとく消え去り、わたしにとっては、「中華風カツ丼を、ひと口と言いながら半分以上食べた女」としてしか記憶されていないのです。

食べものの恨みは怖いです。

人間の生存本能に起因するだけに深く心に刻まれ、その怖さといったら、Sのすべての美点を吹き飛ばしてしまうほどに大きいのです。

斉藤知事の身にもおなじようなことが起きているのではないでしょうか。

県政を進めるうえで思いどおりにいかないことも多かったかもしれません。疲れ果てて20メートル歩くのもめんどうになったかもしれませんし、イライラしてふせんを投げたくなったときもあるでしょう。仕事をしていくなかで周りと不協和音が起きるのはごく当たり前のことです。

しかし、もし斉藤知事が、視察先でもらったカニを周りに分け与える人であれば、「ひどい上司だけど、カニをくれるから、ま、いっか」と、愚痴は胸におさめたはずなのです。そしてそのカニを食べるとき、「おいしい。斉藤知事、ありがとう」と感謝までしたはずなのです。そして、「次回のイベントでは、個室の更衣室を必ず用意しよう。斉藤知事のために」と誓ったはずなのです。

もちろんこれは「気持ちの上」のことで、今報道されているような問題が起きなかったかといえば、それは別問題です。けれども、斉藤知事が、権力があれば「人の心」を軽く見てよい、権力があればどんな扱いをしても人はついてくる、と考えていたのは明らかです。

だから、もらった食べものをすべて自分で持ち帰るという初歩的なミスをしてしまう。まさかそんなささいなことが、何倍にもなって自分に返ってくるとは思わずに。

食べものの恨みは、本当に怖いのです。

 

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。