「ふつうに受け取る」ことの大切さ

お隣・兵庫県の「躍動」が止まりません。

この問題を見ていて、事実や意見を「ふつうに受け取る」ことの大切さを痛感しています。

もちろんテレビや新聞、SNSなどふだんわたしたちが目にする情報源にはいろんな受け取り方があり、どんな感想を持ってもよいと思います。けれども、まずは「素直に事実を受け取る」ことが大切です。

たとえば、小説で考えてみましょう。

「ドロシーは、カンサスの大草原のまんなかに、農夫のヘンリーおじさんと、そのおかみさんのエムおばさんと三人で暮していました。」(「オズの魔法使い」ライマン・ブランク・ボーム/佐藤高子訳)

という文を読んだら、「大草原のぽつんと一軒家だな」とか、「おじさんは農夫か」とか、まずはそこに書かれている事実をそのまま受け取って、その事実をかみしめたあとに、人それぞれに感想が出てくるというのが、ふつうの道すじです。

けれども、「大草原に家が建つはずがない。どうやって建てたのか説明しろ」とか、「もしや子どもに野菜ばかり食べさせているのか。虐待だ」などと、事実を受け取ることを拒否して、飛躍した意見を持ってしまうと、そのさきの物語に進むことができません。その意見は、さらには「建設業界の闇があるらしい」「野菜たちの陰謀だ」と、まったく違う方向へさらなる躍動を遂げていきます。事実という根拠を受け取っていないので、ねじ曲げたい方向にいくらでも飛躍が可能なのです。

兵庫県での騒動は、このような「躍動しすぎの想像力」が引き起こしているのではないかと感じています。

事実を受け取るには、ある意味勇気が必要です。この世は自分の価値観と異なる事実にあふれており、それを受け取ることによって、自分が傷ついたり否定されたりすることにもつながりかねないからです。けれどもまずは勇気を奮い起こして、心のフィルターをはずして事実をきちんと受け取る。目の前で起こっていることを先入観のない目で見る。

これだけでまったく違ってくると思います。

 

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学校ではその訓練を延々とやっている

学校でやっているのは、その「事実を受け取る訓練」です。

たとえば算数の文章題。問題を読み解くという訓練を重ねることで、事実の受け取り方を学んでいます。

「わからない」と大騒ぎする子ほど、文章題に書かれている事実を読み取れていません。学校で出される問題というものは、基本的に解きやすいように作られています。けれども事実をありのままに受け取らず、頭の中でねじ曲げているので、式を立てることができないのです。

算数の問題で、たし算を使うのかひき算を使うのか、またはかけ算を使うのかわり算を使うのか。まずは目をこらして、事実をよく見なければなりません。これは社会に出ても同じです。初動を間違えれば、大きな問題を引き起こします。

算数の四則混合の計算ならば、どこから計算するのか。順序をまちがえれば、永遠に答えは合いません。最初に式をよく見て、計算の筋道を立てることが大切です。行動の順序をまちがえれば、結果も大きく違ってしまい、取り返しのつかないことになってしまいます。

よりよい社会を作っていくために、わたしたちは十年以上も学校に通って、考え方の訓練を延々と行っているのです。

ひとりひとりが勇気を持って、事実を受け取る。それがどんなに自分に都合の悪いものであっても、です。そして、事実に即して、考える。

それしか、兵庫問題の解決法はないと思います。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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学習塾を経営しながら、発達障害グレーゾーン中学生の息子・天を絶賛子育て中。 楽しかったり楽しくなかったり、うれしかったりうれしくなかったりする天との毎日を、母の目から率直につづります。